心に灯をともす伝え方 |人を動かすのは”熱量×弱さ”
あなたがもし、
「もっと伝わる話し方をしたい」
「説明の仕方を変えてみたい」
「坂田さんみたいに“聞きたくなる空気”をつくりたい」
そんな気持ちを、ほんの一度でも抱いたことがあるなら——
このコラムは、まさにあなたのためのものです。
私のセミナーを受講された方からは、内容に対する感想とは別に、こんな声をよくいただきます。
「話し方そのものが勉強になった。」
「テンポや間の取り方をマネしたい。」
「説明の仕方、質問の投げ方…どれも学びたい。」
「どうしてあんなに“聞きたくなる講義”がつくれるんですか?」
実は、“伝わる話し方”には共通する“脳の反応パターン”があります。
テンポ、声、間、弱さの見せ方、ストーリー、言語パターン、そして空気のつくり方——
これらはすべて、再現可能な“技術”なのです。
もしあなたが、
「伝え方を武器にしたい」
そう思っているのなら、このコラムには、その第一歩になるヒントが必ずあります。
あなたの言葉が、誰かの心にちゃんと届く未来のために。
なぜ、多くの講義は眠くなるのか
講義をしていると、“空気の変わる瞬間”というものが存在します。
私の中ではその瞬間を、密かに「分岐点」と呼んでいます。
始まって10分ほど経った頃でしょうか。
人は無意識に、その日の講義が“聞く価値があるか/眠ってもいいか”を判断します。
それは、ほんの小さな表情の変化で分かります。
例えば、視線。
顔はこちらを向いているのに、心が向いていないときの目は、どこか遠くの一点をぼんやり見ています。
会議室では、壁に貼られた「今月のスローガン」あたりを眺めていたり、デスクでは、ペン立ての影を見ていたり。
オンラインでは、画面越しの“別の世界”をのぞいているような視線です。
職種や業界に関係はありません。
企画でも、事務でも、製造でも、営業でも、管理でも、あの「心ここにあらず」の目は、誰でも同じ方向に向きます。
そして私は、その瞬間に気づいてしまうのです。
——あ、このままだと眠くなる。
眠くなる講義は、内容が悪いわけではありません。
ましてや、受講者にやる気がないからでもない。
実はもっとシンプルで、もっと深いところに理由があります。
それは、「心が揺れていない」からです。
心が揺れない話は、脳が“聞く必要なし”と判断します。
すると、どんなに面白い内容でも、どんなに必要な内容でも、どんなに工夫して作った資料でも、すべてが“音のない映像”のように滑り落ちていく。
私は昔、この現象が本当に嫌いでした。
夜遅くまで準備したスライド。
練りに練った構成。
事例研究。
専門用語の噛み砕き。
丁寧に仕込んだワーク。
それでも、受講者の心が動かなければ、それは「ただの言葉」で終わってしまうんです。
講師として、あれほどむなしい瞬間はありません。
講義を始めた頃の私は、「正しさ」に頼っていました。
「正しい内容さえ伝えれば、きっと伝わる」
「知識は力だ」
「理屈が分かれば、人は動く」
そう信じていたのです。
しかし、正しい説明だけでは、心は揺れない。
正論は、時に眠気すら誘います。
そこで私は、ある問いを持つようになりました。
“人が眠くならずに、心の奥で『聞きたい』と思う講義とは何だろう?”
この問いを抱えてから、私の研修スタイルは、大きく変わりました。
私は、人の“脳と心のリズム”を、観察するようになったのです。
会話のテンポ。
声の高さと低さ。
ゆっくり話す時と、テンポを速くする時の違い。
笑いの入れ方。
ボケのタイミングと、そこから戻る“揺らぎ”。
質問を投げて、相手の“心の位置”を読み取る技術。
その日のメンバーの理解速度に合わせて、説明の深さとスピードを変えること。

これらを一つずつ試しながら、私は“伝え方の研究者”になりました。
そして、ある出来事が、私の背中を強く押しました。
とある企業で、安全教育を実施した数日後のことです。
担当のリーダーの方から、長いメールをいただいたのです。
メールには、不思議な話が書かれていました。
——研修のあと、職場で“ある言葉”が静かに広がり始めた、と。
その言葉は、挨拶のような、ちょっとした一言。
誰が決めたわけでもない、軽いフレーズです。
最初に使い出したのは、あるベテラン社員。
冗談の中で、ぽろっと口にしたことが、きっかけだったそうです。
すると、周りの人が笑いながら返すようになった。
「それ、いいですね」
と面白がる人が出てきて、別の部署の人も使い始めた。
いつの間にか、朝のやりとりにも出てくるようになり、ついには総務のメールの末尾に、その言葉がつくようになった。
メールにはこう書かれていました。
大げさかもしれませんが、
職場の空気が、少しあたたかくなった気がします。
研修の数日後から、みんなの表情がやわらいでいます。
“何かが変わった”というのは、こういうことなのかもしれません。
私は、この文章を読んだ瞬間、胸が熱くなり、こみ上げてくるものを抑えられませんでした。
講義の中で伝えたのは、理論ではありません。
小さな問い。
わざと逸らした話から戻るテンポ。
声の高さを少し落とした瞬間。
参加者の顔を見ながら調整した間。
みんなで笑ったくだらないボケ。
その裏側に込めた“願い”。
それらが受講者の中で静かにつながり、現場に“自発的な変化”として芽吹くなんて——
あまりにも嬉しすぎました。
そのとき私は、確信しました。
講義が眠くならない理由は、決してスライドの作り方でも、話し方のテクニックでもなく——
相手の“変わりたい本能”を温めているからだ。
心が動くと、集中が生まれる。
集中が生まれると、眠気は消える。
意欲が湧けば、行動が生まれる。
眠い講義とは、“心が揺れていない講義”。
眠くならない講義とは、“心に小さな火が灯る講義”なのです。

私は今日も、その火を灯したいと思っています。
テンポは“感情の波”である
話し方のテンポというのは、単なるスピードのことではありません。
私はいつも、“波”のようなものだと感じています。

海岸に立つと、波は大きいものもあれば、小さいものもある。
早く寄せてくる波もあれば、ゆっくりふわりと近づいてくる波もある。
しかし、一つだけ共通していることがあります。
——どんな波も必ず、リズムを持っている。
人の心も同じです。
喜び、退屈、緊張、安心、不安、好奇心。
いずれにも、独特のリズムがあります。
そして、講義や説明というのは、目の前の人の“感情の波”に、話し手がどれだけ合わせられるかで決まります。
テンポが合っているとき、相手は深く“聞きたい”と思う。
テンポがズレているとき、相手は無意識に“聞きたくない”と感じてしまう。
このテンポの一致/不一致こそが、眠くなる講義と、眠くならない講義の決定的な違いなのです。
たとえば、こんな出来事がありました。
ある研修で、私は「危険予知の感性」について話す予定でした。
比較的まじめな内容です。
会場に入ると、受講者の表情は少し硬かった。
広報部の人もいれば、事務の人もいる。
製造部門の方もいる。
立場も経験もバラバラ。
その空気はまるで、浅い呼吸をしているような状態でした。
開始5分。
私は、すぐに分かりました。
——このまま普通に話しても、絶対に響かない。
そこで私は、予定していた流れをいったん脇に置き、こんな話を始めました。
「皆さん、朝出勤したときに“今日は良い日だなぁ”って根拠もなく思った経験、ありません?」
会場が少しざわつきました。
“まさかそんな話から始まるのか?”という表情。
しかし、私は続けました。
「実はあれ、脳の“誤作動”なんですが、あの感覚をうまく使うと、危険予知がものすごくうまくなるんですよ。」
すると、会場の波が変わったのが分かりました。
硬さが少し解け、人の視線が私に集まり始めた。
そのときの感覚は、まるで海面の波が「スッ」と寄せてきた瞬間のようでした。
そこに言葉を乗せると、波が大きく動き出す。
私は、テンポを少し速くし、軽い冗談をひとつ挟んだ。
“私は朝、意味もなく『今日はモテる』と思う日があります。なぜでしょう?
…その日、私は確実に調子に乗っています。”
会場の笑い声が広がりました。
ここで、波は完全に私の方へ寄ってきたのです。
私は、そのタイミングで少し声を落とし、ゆっくりと話し始めました。
「実は、“根拠のない感覚”というのは、危険を察知するときにも働くんです。そのサインを無視すると、ヒヤリハットに気づけなくなってしまう。」
場が一気に静まる。
波が引いて、深い凪が生まれる。
この凪に言葉を落とすと、そのまま沈み込み、心の底で音を立てるのです。
テンポは、この波と凪の交互のデザインです。
私はよく、話しながらテンポを変えます。
笑いを入れるとき、テンポは少し速く。(勢いが必要だからです)
速いテンポは「軽さ」を生む。
軽さは安心感につながる。

ストーリーテリングの時
波に乗せるように、流れるテンポ。
感情のうねりに合わせて、言葉を滑らせる。
少し速い→ややゆっくり→再び速く
そんなカーブを描くことも多い。
大切なポイントの時
声を低くし、ゆっくり話す。
脳は「ゆっくり・低音」を“重要情報”として自動で認識します。
だから、この瞬間は急がない。
考えてほしい時
“間”を置く。
脳が動き出すまでの、静かな時間。
ここで話してしまうと、相手の思考が育たない。
話を逸らす瞬間
意図的にテンポを変えることで、脳に“小さな驚き”を生む。
この驚きが、注意力を引き戻す。
テンポを変えるというのは、言い換えれば、相手の感情の波に寄り添っているということです。
波が高いときにゆっくり話せば、相手は退屈する。
凪のときに速く話せば、言葉が耳の奥にぶつかるだけ。
講師がテンポを選ぶのではないんです。
“相手がテンポを決めている”んです。
私は、それに従っているだけなんですね。
ある受講者の方が、研修の休憩時間に、こんなことを言ったことがあります。
「坂田さん、話のテンポが変わるでしょう?あれが、なんかクセになるんですよ。」
私は笑って答えました。
「クセにしているのは、あなたの心のほうですよ。」
人は“自分の波に合うもの”に惹かれる生き物です。
恋愛だって、友情だって、
スポーツの調子だって、
仕事の相性だって、
全部“リズムが合うかどうか”で決まる。
講義も、全く同じ。
テンポは、言葉のスピードではない。
相手の感情に触れるためのリズムなんです。
そのリズムが合った瞬間、人は話を“聞きたい”と思い、心が前に動き出す。
私は今日も、受講者の“波”に耳を澄ませながら話しています。
そこに寄り添えたとき——
講義は眠気から、集中へと変わっていく。
テンポとは、相手の心の波に乗る技術なのです。
問いは“スキャン”である
人前で話すとき、私は必ず最初の10分間で、受講者に小さな質問を投げます。
内容そのものに、意味があるわけではありません。
「今日はどこから来ました?」とか、
「最近、気になっていることってあります?」とか、
「なるほど、ではここで一つ意見を聞かせてもらっていいですか?」とか。
一見、ただの雑談のような問いです。
ところが、これこそが私の講義の“核心”とも言える工程です。
私にとって問いとは、
相手の頭の中をのぞくためのものでは、ありません。
相手の“今の状態”を立体的に読み取るスキャナーなんです。

医療の世界には、MRIがありますね。
人の身体を輪切りにして、内部の状態を可視化する機械です。
私にとっての問いは、まさにそれと同じ。
相手の言葉のトーン
答える速度
沈黙の長さ
ちょっとした視線の泳ぎ
言葉の選び方
息の深さ
声の張り——

そういったものを一つずつ読み取り、その人の“学びの準備状態”を測っているのです。
ある日、こんな出来事がありました。
私は、20人ほどの班長クラスを相手に、講義をしていました。
開始5分で、ある違和感に気づきました。
グループの中央に座る男性が、ずっと腕を組んでこちらを見ているのです。
表情は固く、少し険しい。
何かに不満を持っているようにも見える。
私はそこで、ふと一つ質問を投げました。
「皆さんの現場で、最近“ちょっと気になるな”と思ったこと、ありますか?」
すると、その男性が手を挙げました。
予想していなかったので、少し驚きました。
彼は、こう言いました。
「気になるというか…仕事の量が多すぎて、正直に言うと、こういう研修に時間を取られるのが苦しいと感じる日もあります。」
会場の空気が、少し重くなる。
本来なら、この瞬間こそ避けたい。
普通なら流したい話です。
しかし、私は彼の言葉の“揺れ”を感じました。
不満ではなく、助けを求める揺れだったのです。
だから私は、声を少し落とし、ゆっくりこう返しました。
「正直に話してくださって、ありがとうございます。その言葉、大切に扱わせてくださいね。」
彼の表情が、その瞬間だけほんの少しだけ揺らぎました。
目の奥の硬さが取れるような、そんな表情。
その後の彼は、驚くほど積極的に講義に参加し、ワークでは誰よりも熱心に話し合いをリードしていました。
私は、あの瞬間に確信しました。
問いとは、ただ意見を聞く行為ではない。
相手の“心のドアの位置”を探す行為なのだと。
問いを投げるとき、私は同時にこんなことを見ています。
相手は何を知りたいのか?
求めているのは知識か、安心か、方法か、答えか、それとも共感なのか。
学ぶエンジンがどこにあるのか?
承認欲求なのか、不安なのか、責任感なのか、好奇心なのか。
いま抱えている“言葉にならない課題”は何か?
迷いなのか、苛立ちなのか、焦りなのか、あきらめなのか。
私の話に違和感を持っていないか?
スライドは理解しやすいか、説明がその人の世界観に合っているか、専門性と日常のつながりが見えているか。
眠気があるときには正直に扱う
「眠いですよね?」とストレートに問い、笑いに変えて空気を緩めることもある。
相手の言語パターン(LAB)を読み取る
主体的か、反映型か、
プロセス志向か、オプション志向か、
タスク型か、人間型か。
言葉の選び方に、そのまま現れます。
思考パターン(NLP)を読み取る
結論が欲しいタイプか、
順序立てて理解したいタイプか、
感情を先に扱いたいタイプか、
イメージで捉えるタイプか。
これも、短い問いと返答の中で全部見える。
こうして得た情報をもとに、私はその場で講義の“形”を変えます。
速いテンポでいくのか、
ゆっくり深めていくのか。
声の高さをどこまで落とすか。
どこまで冗談を言っていいか。
どこに“間”を入れるか。
説明をどの角度から組み立て直すか。
講義は、受講者と一緒につくる“生き物”です。
だから私は、問いを投げながら、常にその生き物の体温を測っています。
問いは試験ではない。
知識を引き出すためのものでもない。
ましてや、人を困らせるためのものでもない。
問いの目的は、相手の状態を“やさしくスキャンすること”です。
そして——
そのスキャンが正確であればあるほど、伝え方は驚くほど相手にフィットします。
質問をした瞬間に、場の空気がそっと変わる。
答えようとする受講者の目がわずかに動く。
その小さな変化から、私は“次にどう話すか”を決めているのです。
講義が終わったあと、ある受講者の方から
「坂田さんの質問って、まるで私の心を見ているみたいですね」
と言われたことがあります。
私は笑って、こう答えました。
「いえいえ、見ているのは心じゃなくて、あなたの“今”のリズムなんですよ。」
人の心は読めません。
でも、その瞬間の“波”は読める。
その波に合わせて話を変えれば、人は必ず耳を傾け、学びのスイッチを自分から入れてくれます。
問いとは、相手を理解するための道具であり、心を開くための鍵であり、講義のリズムを整えるための羅針盤。
そして何より——
相手の未来を見つけに行く行為でもあるのです。
私は今日も、問いを使って受講者の心の現在地を探し続けています。

説明は“相手基準”で組み立てる
講義というのは、とても不思議なもので、同じことを話しても、ある人には深く響き、別の人にはまったく届かないということが起こります。
「坂田さん、今日の説明すごく分かりやすかったです!」と言ってくれる人がいる一方で、同じ会場の別の人が「そこ、もう少し噛み砕いてほしかった…」と思っていることもある。
この経験を何度も繰り返しながら、私はある答えに辿りつきました。
説明というのは、話し手の都合で組み立てるものではなく、“相手の世界の中に橋を架ける作業”であると。
一つの説明を投げるのではなく、相手の経験、思考、価値観の上に「ちょうど乗るサイズの言葉」を置く。
それが説明の本質です。
私は研修でよく、例え話を使います。
たとえば、こんなふうに。
「危険予知はカンではなく“脳の反射”なんですよ。
これはちょうど、車を運転していて
“あ、なんか嫌な感じがするな…”と思うあの瞬間に似ています」
この話をすると、車を運転している人の目がすぐに変わる。
その世界観で、理解できるからです。
一方で、車に乗らない人には、響かない。
だから私は、受講者を見ながら、例え話をその場で切り替えていきます。
製造現場が多ければ、工具の持ち方や段取りの比喩を使い、
事務職が多ければ、Excelの関数やメールの読み違いを例にし、
営業職が多ければ、お客様との距離感の話を使う。
例え話は、“説明の翻訳”です。
翻訳が合っていると、相手は瞬時に理解する。
翻訳がズレていると、どれだけ話しても心には届かない。
私は常にこの“翻訳作業”をしているのです。
もっと言うと、私は説明するとき、相手がどの方向で世界を理解するか、を観察しています。
結論から理解するタイプ
→「つまりどういうことか」を先に伝える。
→要点を3つに整理して示す。
→ストーリーは短く。
プロセスで理解するタイプ
→“なぜそうなるのか”の順番が大事。
→図を描いて構造を理解してもらう。
→理由・背景を丁寧に説明する。
イメージで理解するタイプ(V:Visual=視覚)
→たとえ話、図、身振り手振りが効く。
→視覚化しながら説明。
音で理解するタイプ(A:Audinary=聴覚)
→テンポ・リズムで理解する。
→強弱をつけて話す。
→一度に話す量を減らす。
身体感覚で理解するタイプ(K:Kinesthetic=身体感覚)
→「実際にやってみてください」が効く。
→触る、動く、書く。
説明の“伝わりやすさ”は、このパターンの違いを読み取れるかで、決まるのです。
たとえば、
A(聴覚)タイプの人に図を見せても響かない。
K(身体感覚)タイプの人に文字だけ見せてもピンとこない。
V(視覚)タイプの人に長文を読み上げると眠くなる。
だから私は講義中、相手の反応を観ながら、説明の角度をその場で変え続けます。
説明を「正しく伝える」のではなく、相手の“理解パターンに乗せる”のです。
ある企業での研修後、一人のベテラン社員が、私にこう言いました。
「坂田さんの説明って、“自分のために説明してくれている”って感じがするんですよね。」
私はその言葉に、とても救われた気持ちになりました。
というのも、私は講義のとき、こんなことに気を配っているからです。
・受講者が手元で書いたメモをちらっと見て、
何を理解して、何を理解していないか把握する。
・質問に対する返答の“初速”で、
思考パターンをつかむ。
・「うんうん」と頷くタイミングで、
理解スピードを読める。
・逆に、視線が泳いだり、眉が少し寄った瞬間は、
その部分が“引っかかっている”サイン。
そこで説明の角度を変える。
説明は、準備したものを棒読みする時間ではありません。
その場にいる、一人ひとりの“脳の地図”に合わせて方法を変える「対話作業」です。
私はよく、説明のことを“相手の頭の中に階段をつくる行為”だと思っています。
その人の理解レベルに合わせて、段の高さを調整し、一歩一歩上がれるように支える。
段が高すぎれば、登れない。
段が低すぎれば、退屈になる。
だから、問いや視線や表情の変化を手がかりにしながら、私は階段の高さを調整し続けているのです。その階段を登りきった瞬間、人の顔には“深い理解の表情”があらわれる。
ほんの少し口角が上がり、目がスッと澄んで、呼吸が静かになる。
私はあの表情を見るために、今日も説明を組み立てています。
説明とは、相手を一歩前に進ませる“橋”であり、理解につながる“階段”であり、未来への“道”でもある。
話し手が主役ではありません。
受講者が、主役です。
だから私は、誰にでも同じ説明はしません。
その場にいる“たった一人”の理解速度に合わせて、説明の形を変え続けるのです。
説明が相手にフィットした瞬間を、私はいつもこう表現しています。
——言葉が相手の心の中で“カチッ”と噛み合う瞬間。
その音は、聞こえないけれど確かに存在します。
私は今日も、その“噛み合う音”を探しながら、説明という旅を続けています。
人を動かすのは「言葉の内容」ではなく「熱量×弱さ」
研修を続けていると、時々、不思議な瞬間に出会います。
どんな高度な理論でもなく、どんな立派なフレームワークでもない。
たった一つの“弱さを含んだ言葉”によって、受講者の表情がふっと柔らかくなる瞬間です。
言葉の内容ではなく、言葉の“温度”が相手を動かす。
私はこれを、講師として何度も目の前で見てきました。
昔、私はある工場で講義をしていました。
安全教育の一環で、ヒューマンエラーやメンタルモデルについて話す研修です。
その日は、参加者が60名ほど。
椅子が綺麗に並び、空気が少しだけ硬かった。
皆、慎重に私を観察しているような視線でした。
私は定番の導入を終え、ヒューマンエラーと認知の関係について説明していたとき、ふと心に引っかかったことを思い出しました。
——ここは、理屈ではないな。
そう感じたのです。
そこで私は、予定していなかった話を始めました。
「実は、私が入社したばかりの頃にも、危うく大事故を起こしかけたことがあるんです。」
会場の空気が少し動いた。
“あ、この人、失敗することがあるんだ”と、全員が一瞬で理解したからです。
私はこう続けました。
「当時の私は、知識だけは一人前にありました。安全管理とはこういうものだ。リスクの見方はこうだ。『これは常識だろう』と思っていました。でも、実際の現場で判断を誤り、先輩に止めてもらわなければ、本当に危険なことになっていました。」
私は、少し笑いながら、当時の自分の未熟さを誇張したり小さく自虐したりして話しました。
会場に柔らかい笑いが広がる。
それは講師を“崇める笑い”ではなく、“同じ人間としての距離が縮まる笑い”でした。
私はさらに言いました。
「恥ずかしい話ですが、自分の弱さを認められるようになってから、安全の本質がようやく見え始めました。」
ここで空気が変わった。
静かで、深くて、どこか温かい空気。
私は、この瞬間が好きです。
受講者の心が“こちらに向く”瞬間だからです。
そして、気づいたことがあります。
人は、強さよりも“弱さの温度”に心を開く。
「正しい話」だけでは、人は動かない。
「熱量×弱さ」こそが、人の心を揺らし、行動を変える力になるのです。

私は講義で、わざわざ自分の“失敗談”や“弱さ”を語ります。
講師としての格好よさはなくなるかもしれない。
でも、それでいいんです。
失敗談とは、相手に安心を届ける言語。
弱さとは、相手が近づける距離。
人は「完璧な人」からは学びにくい。
自分と同じ、少し間違え、少し悩み、少し迷った人からなら、心が自然と開く。
私は常に、それを意識しています。
ある日のこと。
講義後のアンケートに、こんな言葉が書かれていました。
「坂田さんは、強い言葉で教えてくれるのではなく、自分の弱さを見せてくれるから、“自分もやってみよう”と思えました。」
私は、この言葉に救われました。
「弱さは欠点ではなく、講師としての武器なんだ」と。
ここで一つ、よく誤解されることがあります。
“弱さを見せる=自信のなさ”ではありません。
弱さを見せるとは、「自分の過去を正直に扱う勇気」 のことです。
そこには、
・経験
・悔しさ
・学び
・成長
・人間臭さ
すべてが、含まれています。
弱さを言語化できる人は、強さをごまかさない人。
だから、信頼されます。
人は、正しい理由で動くのではなく、信頼する人の言葉で動く。
そして信頼は、完璧さによってではなく、“弱さを背負いながら前に進もうとする姿勢”によって生まれます。
だから——
私は、講義で失敗談を話すとき、笑いを混ぜて、ちょっと恥ずかしそうにしながら、それでも堂々と語ります。
失敗談を笑って話せる。
それは、あなたにとって「自信」なのです。
これを開示したとき、受講者の目が変わるのです。
さらに大事なことがあります。
弱さと熱量は、片方だけでは届かない。
弱さだけでは、ただの反省話になってしまう。
熱量だけでは、ただの勢いで終わってしまう。
弱さ×熱量が掛け合わさったとき、初めて“人を動かす言葉”になります。
弱さで心を開き、熱量で未来に向かわせる。
だから私は、講義の大事な部分を話すとき、声を少し落とし、ゆっくり語り、
最後の一文だけは、熱量で伝えます。
これが“心に残る言葉の温度”なんです。
講義を長く続けて思うのは、人が動く瞬間というのは、本当に繊細で、静かで、美しいものだということ。
それは、強いメッセージではなく、弱さを抱えたひと言によって生まれる。
私は、今日もその瞬間を見たくて、
弱さを隠さず、
熱量を携えながら、
受講者の前に立っています。
「完璧ではない自分だからこそ、届けられるものがある。」
私はそのことを、講師として誇りに思っています。

実例―“変化が生まれる講義”で起きたこと
研修というのは不思議なもので、その場では気づかない小さな変化が、あとからじわじわと形になって現れてくることがあります。
あるとき、私は地方のとある事業所で、講義をしました。
その会社は、製造・技術・営業・総務が混ざった多様な職場で、組織全体に「安全文化をもっと育てたい」という思いがありました。
参加者は40名ほど。
部門も年齢も役職もバラバラで、
空気としては、やや硬い。
どことなく“様子見”の雰囲気がありました。
でも、講義が進むにつれて、少しずつ表情が柔らかくなる。
笑いがこぼれる。
メモを取る手が速くなる。
終盤には、ある方が手を挙げてこう言いました。
「なんだか、今日は久しぶりに“ちゃんと学んだ”って感じがしました。」
私は笑顔で返しましたが、その言葉が妙に心に残っていました。
しかし——
本当の変化は、その日ではなく“翌日以降”に起きたのです。
講義が終わって一週間ほど経った頃、その会社の方から、こんな連絡をいただきました。
「研修のあとから、うちの職場で
“お疲れさまです”の代わりに
“ご安全に”って挨拶するようになったんです。
最初は冗談のつもりだったみたいですが、 今では自然と、誰かが言えば誰かが返すようになりました。」
私は、そのメッセージを読んだ瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなりました。
その挨拶は、その社内で昔から使われていた言葉ではありません。
研修の中で、
「誰かの安全を願う言葉は、文化の入口になる」
という話をしたとき、冗談のように出た一言がきっかけだったのです。
それを誰かが拾い、
軽く真似し、
それを誰かが受け取り、
気づけば習慣になっていた。
文化とは、こうやって静かに形づくられるものなんだと、改めて思いました。
別の部署では、こんなことも起きたそうです。
ベテラン社員の方が、朝礼でこんな話をしたのです。
「昨日、坂田さんの研修を聞いてから、 “気になる違和感を言葉にしてみよう”と思って、帰り道に一つ試してみたんですよ。」
周りが興味深そうに振り返る。
「そしたら…『あれ、これって前も危ないと思ったな』って気づいて。 ああ、これが“気づきの反射”ってやつかと。」
職場全体が「へぇー」と驚き、そこから“最近気づいた違和感”を共有する時間が生まれたらしい。
たった3分、されど3分。
その時間が、メンバーの心の中に“安全を考える余白”をつくった。
私はそれを聞いて、とても感動しました。
研修というのは、こちらから押しつけるものではない。
受け取った人が、自分の生活や仕事に溶かし込み、小さな行動に変えてくれたとき、初めて“意味を持つ”ものになるのだと。
さらに後日、その会社の総務部の方からも、メッセージをいただきました。
「研修以来、社内メールの文末に、ちょっとした一言を添えるようになりました。それだけで、なんとなく温度が変わるんです。」
“業務連絡→人の言葉”へ。
その小さな変化は、職場の心理的温度をじわっと上げていく力を持っています。
文章に温度を宿す人が一人いると、職場全体が柔らかくなる。
誰かが挨拶の声に少しだけ“笑顔”を乗せると、その雰囲気が周囲にも伝染する。
文化とは、誰かの「小さな一歩」を起点に生まれる連鎖です。
私はこのメッセージを読んだとき、“職場の温度が上がる瞬間”というものを思い浮かべました。
それは、暖房を一気に入れたときの急激な温度上昇ではなく、冬の日に差し込んだ一筋の陽だまりのように、じんわり、ゆっくり、でも確実に広がる温度。
変化とは本来、そういうものなのだと思います。
講義が終わった直後の拍手も嬉しいですが、本当に心を震わせてくれるのは、“時間が経ってから届く感想”です。
そこには“本音”が宿る。
「講義、楽しかったです」
という声ももちろんありがたい。
でも、何日も経ってからやってくる
「職場が少しだけ変わりました」
というメッセージは、
講師としての私にとって、宝物のような言葉です。
なぜなら、これは学びが“行動”に変わった証拠だから。
変化を起こしたのは、私の言葉ではなく、受講者自身の意思と行動です。
私はきっかけをつくっただけ。
火をつけたのではなく、火がつく“場所”に火種を置いただけ。
でも、その火種を拾ってくれたのは受講者。
そこに風を送ったのも受講者。
火を絶やさず、広げてくれたのも受講者。
私は、そんな人たちと一緒に“安全文化”という名の灯りを、育んでいきたいと心から思います。
こうした変化の連鎖を見ていると、講義とはただ知識を伝える時間ではなく、人が“未来の自分”へ一歩踏み出すためのきっかけだと感じます。
誰かが本気で変わろうとしたとき、その変化は、想像以上に静かで、でも確実に力強い。
私が研修を続ける理由は、この“静かな変化”が美しいからです。
そして——
今日も私は誰かの職場で、未来へつながる小さな火種をそっと置いています。
その火が、どんな風に広がっていくのか。
どんな人の心を温めていくのか。
それを見るのが楽しみで、私はまた講義に向かうのです。
あなたの伝え方を求める人たちへ—“学び方を学ぶ”の招待状
誰かの前に立ち、言葉を届けるというのは、本当に不思議で、尊くて、奥が深い営みです。
私は長い間、安全、品質、コミュニケーション、問題解決——
さまざまな分野で人に伝える役割を続けてきましたが、つくづく思うことがあります。
伝えるという行為は、“技術”であると同時に、“心のあり方”でもある。
人は正しさでは動かない。
分かりやすさだけでも動かない。
知識だけでも動かない。
では何で動くのか。
それは——
感情が動いた瞬間に、人は初めて行動に向かう。
このコラムをここまで読んでくださった方なら、もう感じておられると思います。
・テンポ
・間
・声の温度
・弱さ
・問い
・説明の翻訳
・場の空気の読み取り
・ユーモア
・ストーリー
・VAK
・LABプロファイル
・NLP
・メタファー
・そして“熱量”
これらすべてが混ざり合い、受講者の心に“届く言葉”が生まれます。
私はずっと、この伝え方の技術と哲学をひとりで磨き続けてきました。
ところが——
近年、研修が終わるたびに受講者の方からこう言われるようになりました。
「坂田さん、伝え方そのものを学びたいです。」
「講義のテンポ、どこで変えているのか知りたい。」
「自分も同じようにできるようになりたい。」
「説明の仕方を、もっと深く学びたい。」
ある企業では、
セミナー後の感想の半分が、“内容よりも坂田さんの伝え方を学びたい”という声だったこともあります。
私はそのたびに思いました。
——そうか。
——私が積み重ねてきたこの“伝え方”も、
誰かの役に立てる時期が来たのかもしれない。
ここまで書いてきたこのコラムは、「伝え方の世界」をチラリと覗くための入り口です。
でも、本当の学びはここからです。
伝え方というのは、
文章を読んで理解するものではなく、人と向き合い、声を出し、身体で感じ、場の空気に触れながら初めて意味を持ちます。
伝え方とは、“技術×感性×経験×心の構え”の掛け合わせ。
だから——
もしあなたが本気で「伝え方を磨きたい」と感じてくださったなら、私は実践の場をつくりたいと思っています。
私はいま、20名ほどの小さなグループで“伝え方実践セミナー”をやろうと考えています。
大人数ではなくしっかり対話ができて、空気が読み取れて、すぐにフィードバックが返せる規模。
一人ひとりの
「強み」
「癖」
「声の質」
「テンポ」
「理解パターン」
「伝え方の傾向」
を読み取りながら、
実際に場の中で磨いていく時間です。
実技もやります。
ストーリーもつくります。
質問の投げ方も扱います。
“弱さの見せ方”も練習します。
伝わる声の出し方も学びます。
話の構造化、テンポの調整、場の空気の作り方、
笑いを起こす方法——
全部扱います。
そして何より大切にしたいのは、
あなた自身の“伝え方の原点”を見つけること。
他の誰でもなく、
あなたにしかできない伝え方を見つける時間です。
私は確信しています。
伝え方が変わると、人は本当に変わります。
・聞いてもらえる
・伝わる
・動いてくれる
・関係性が良くなる
・チームがまとまる
・安全が生まれる
・指導の質が上がる
・説明が楽になる
・プレゼンが面白くなる
・研修の空気が変わる
・言葉が未来をつくる
そしてなにより、伝える側が“楽しくなる”。
これが一番大きい。
伝え方とは、人を変える技術であると同時に、自分を成長させる魔法でもあるのです。
もし、
「やってみたい」
「もっと知りたい」
「自分の伝え方を磨きたい」
そう思う方が一定数おられるなら——
私は本気で、この“伝え方実践セミナー”を開催するつもりです。
興味のある方がいらっしゃれば、ぜひ一度、気軽にご連絡ください。
問い合わせをしたからといって、申し込みが確定するわけではありません。
ただ、“一歩目”を踏み出してみるだけで大丈夫です。
その一歩が、あなたの未来の講義を、伝え方を、チームを、職場を、そしてあなた自身の人生を驚くほど豊かにしていくかもしれません。
私は、あなたの“言葉の未来”を一緒につくる準備ができています。
伝え方は、生き方に似ています。
無理に飾る必要はない。
大声を出す必要もない。
完璧である必要もない。
必要なのはただ、「誰かに届いてほしい」という小さな願い。
その願いがある人なら、誰でも伝え方は必ず磨ける。
そして——
その磨かれた伝え方は、
必ず誰かの心を動かします。
あなたの“伝え方”は、
きっと誰かの人生の風景を変える。
私はそれを信じていますし、その力を一緒に育てたいと心から思っています。
もしご希望があれば、その扉を、静かに開いてみてください。
あなたと一緒に学べる日を、心から楽しみにしています。


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国内外において、企業内外教育、自己啓発、人材活性化、コストダウン改善のサポートを数多く手がける。「その気にさせるきっかけ」を研究しながら改善ファシリテーションの概念を構築し提唱している。 特に課題解決に必要なコミュニケーション、モチベーション、プレゼンテーション、リーダーシップ、解決行動活性化支援に強く、働く人の喜びを組織の成果につなげるよう活動中。 新5S思考術を用いたコンサルティングやセミナーを行い、企業支援数が190件以上及び年間延べ3,400人を越える人を対象に講演やセミナーの実績を誇る。