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「叱る」は悪ではない? │ 部下を守る“正す勇気”が組織を変える

目次

あなたは、部下や後輩に対して「本当は叱らなければならない」と感じながらも、言葉を飲み込んだ経験はありませんか?

「叱るとパワハラと言われるのではないか」
「嫌われるのではないか」
――そう思うたびに、胸の奥に苦しさが積み重なっていく。

しかし、その沈黙がときに命を危険にさらし、顧客に大きな迷惑をかけ、職場の信頼を崩してしまうことがあります。
ここにパラドックス(直感とのズレ)があります。
叱ることを恐れて黙っている優しさが、実は最も大きなリスクを生むのです。

では、どうすればよいのでしょうか。
答えはシンプルです。
叱るのではなく、「正す」勇気を持つことです。

「叱る」と考えれば躊躇してしまうリーダーも、「正す」と捉え直せば、愛情をもって行動できる。
これは、法律や判例からも心理学からも裏づけられています。

本コラムでは、私自身の経験と科学的知見をもとに、「叱るから正すへ」という新しいリーダーシップの形を提示します。
あなたがもし「叱れない苦しさ」に悩んでいるのなら、この数分の読書が、明日からの勇気を取り戻す一歩になるでしょう。

叱れないリーダーの苦しさ

「叱ったらパワハラと言われるかもしれない。」
「でも、このまま放っておいたら、事故につながるのではないか。」
現場でリーダーを務める多くの人が、こんな葛藤に心をすり減らしています。

ある30代の現場主任はこう語ります。

「若手が明らかに危ない行動をしていても、強く注意するのをためらってしまうんです。声を荒げれば“ハラスメントだ”と言われるし、やんわり伝えても全然響かない。結局、また同じことを繰り返す。正直、どうすればいいのかわからない。」

この悩みは決して珍しいものではありません。
むしろ今の社会では、多くのリーダーが同じ苦しさを抱えています。
叱れないリーダーは「部下を守れない」「組織を守れない」という無力感に苛まれ、心のどこかで「自分はリーダー失格なのではないか」と自信を失っていくのです。

ここで立ち止まって考えてみましょう。
叱ることは本当に「悪」なのでしょうか?

近年、社会全体に「叱る=パワハラ=悪」という空気が広がっています。
その背景には、過去の厳しすぎる指導や、人格を否定するような叱責がトラウマとして残っているケースが多いことも影響しています。
確かに「怒鳴る」「脅す」「長時間責め立てる」といったやり方は、科学的にも逆効果であり、パワハラと呼ばれても仕方ありません。

しかし一方で、命や安全、顧客との信頼に関わる重大な場面で「黙って見逃す」ことは、果たして正しいのでしょうか。

心理学的に言えば、人は「強いフィードバック」がなければ、危険な行動を繰り返してしまいます。
行動科学の「強化理論」では、誤った行動は、即座に正さない限り修正されにくいとされています。
つまり、リーダーが沈黙することは、部下に「その行為は許される」という誤った学習を与えてしまうのです。


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板挟みのリーダー

「叱ると嫌われる、叱らないと危険が増す。」
リーダーはまさに板挟みです。

これは交通ルールに似ています。
信号が赤になっても誰も取り締まらなければ、人はそのうち赤信号を平気で渡るようになります。
しかし、赤信号を「止まれ」と厳しく示すからこそ、事故が防がれているのです。

信号の赤は「自由を奪うため」にあるのではなく、「命を守るため」にあります。
リーダーの叱責も、本来は同じ役割を持っているはずです。

ところが現代の職場では、その役割が正しく理解されず、「叱ること自体が悪」と短絡的に解釈されがちです。
その結果、リーダーは本当は言うべきことを言えず、やんわりとした表現に逃げてしまう。
けれど、その言葉は部下には届かず、行動は変わらない。

やんわり伝えることの限界

例えば、若手社員がヘルメットをかぶらずに作業を始めようとしたとします。
リーダーがやんわりと「ヘルメットかぶった方がいいんじゃない?」と声をかけても、部下は「まあ、次からでいいか」と流してしまうかもしれません。

しかし「そのままでは大怪我につながる。必ず今すぐヘルメットをかぶれ!」と強い言葉で伝えれば、部下はハッと我に返り、その場で行動を改めるでしょう。

強さのある言葉は、相手の命を守るための「ブレーキ」になります。
やんわりした声かけでは止まらない危険行為も、強い声なら止められるのです。

「叱る」ではなく「正す」

ここで大切なのは、「叱る」という言葉が持つネガティブな響きをそのまま受け入れる必要はない、ということです。
人格を否定するような叱り方はもちろん不要です。
けれど「行動を正す」ことは必要不可欠です。

実際に多くの判例や労働法も「業務上必要かつ相当な範囲の指導」はパワハラに該当しないと明言しています。
つまり、命や安全を守るための叱責は法律的にも正当な行為なのです。

ここで言葉を「叱る」から「正す」に変えるだけで、リーダー自身の心の負担も大きく変わります。

「叱る」と思えば罪悪感やためらいが生まれますが、「正す」と思えば、部下の成長や安全を守るための愛情ある行為に変わります。

リーダーもまた守られるべき存在

忘れてはいけないのは、リーダー自身もまた「叱れない風潮」によって苦しんでいるということです。

叱れないのはリーダーの弱さではなく、社会的な風潮や組織文化の影響です。
つまり、リーダーもまた「オーバーコンプライアンス文化の被害者」なのです。

だからこそ、この問題を「リーダー個人の性格の問題」にせず、「社会的な背景がある」と整理してあげることが大切です。
それだけでリーダーは少し気持ちが軽くなり、「自分はダメな上司なのでは」という自己否定感から解放されます。

叱ることは本当に悪なのか?
それとも、命や信頼を守るための「正す」行為なのか?

この問いに答えるために、私は自分自身の体験を語らずにはいられません。

20代前半、建築現場で危険な行動をしてしまい、上司に大声で叱責された出来事があります。
その瞬間は「見つかってしまった」と冷や汗をかきましたが、今振り返ると、その叱責が私の安全意識を根本から変えるきっかけになったのです。

続いては、そのエピソードをお話しします。
叱責と正し方の違い、そして「叱られてよかった」と心から思える経験が、皆さんの心にきっと響くはずです。

関連記事:次世代リーダーの育成方法|企業の未来を託すリーダー育成のためにできること

危うい善意と、上司の叱責

20代前半のころ、私は建築現場で外装足場の作業をしていました。
 その日は、いつものように足場の点検と整理を任されていましたが、現場の片隅にはタンカンと呼ばれる丸い金属パイプが、無造作に放置されていました。
足場の上に転がったタンカンは、まるで罠のように人の足を引っ掛け、転倒や墜落の原因になりかねません。

「これは危ない、片付けておこう。」

そう思った私は、何の疑問もなく行動に移しました。 
タンカンを回収しようと、その金属の束を“飛び越えて”移動してしまったのです。
整理整頓をしようという「善意」が、重大なリスクを孕んだ危険行為に変わった瞬間でした。

大声が響いた瞬間

次の瞬間、耳をつんざくような大声が上から響きました。
「こら! 何やってるんだ! 直ぐにここに来い!」

私は心臓が止まる思いでした。
上を見上げると、直上階にいた上司が私を睨みつけています。
 “ヤベー、見つかっちゃったな……”
その時の心境は、まさに冷や汗ものでした。

慌てて上司の元へ駆け寄り、「すみませんでした。ちょっと危なかったですね~」と軽い調子で謝りました。
自分では「反省している」という態度を示したつもりだったのです。

上司の叱責

しかし、そこで待っていたのは、さらに厳しい叱責でした。
「おまえは、安全に対する姿勢がなってない! もし、あの高さから落ちたらどうなるか分かっているのか! 安全帯があるからといって気を抜くな!」

怒鳴り声は、現場全体に響き渡りました。
私は顔から火が出るような恥ずかしさと同時に、強い衝撃を受けました。
「片付けようとしただけなのに、なぜここまで怒鳴られるのか」と、最初は納得できませんでした。

けれど、上司の表情は真剣そのものでした。
単に怒鳴りたいのではなく、命の危険を心の底から案じている。
そのことは、若い私にも伝わってきました。

善意と安全のギャップ

この出来事の教訓は、善意の行動と安全な行動は必ずしも一致しない、ということです。

私は「整理整頓しなければ」と考え、良かれと思って行動しました。
しかし、その方法が誤っていれば、善意は一瞬でリスクに変わります。
むしろ「良いことをしている」という意識が油断を生み、危険を見逃すことすらあるのです。

上司の叱責は、その油断を打ち砕くものでした。
「安全帯があるから安心」ではなく、「安全帯があっても油断すれば事故は起きる」という現実を突きつけられた瞬間でした。

叱られたことの意味

あの時、もし上司が何も言わなかったらどうなっていたでしょうか。 
私はきっと、「片付けを自主的にやったのだから褒められてもいいはずだ」と思い込み、同じ行動を繰り返したかもしれません。
そして、いつか本当に転落事故を起こしていた可能性すらあります。

だからこそ、上司が大声で叱ってくれたことには、深い意味があったのです。

危険行為を即時に制止する
安全に対する姿勢を正す
「善意よりも命を守る行動が優先」という価値観を刻み込む

この3つを一度に伝えるためには、あの瞬間の強い叱責が必要だったのだと、今なら理解できます。

「叱る」から「正す」へ

とはいえ、今の時代に同じように怒鳴ったら「パワハラだ」と受け止められるかもしれません。
 ここで重要なのは、「叱る」を「正す」に変える視点です。

もし、あの上司の言葉を現代的に言い換えるなら、こんな表現になるでしょう。

「整理しようとした気持ちはいい。でも飛び越えるのは大事故につながる危険行為だ。整理整頓は大切だから、安全な方法でやろう。」

この言い方なら、私の善意を認めつつ、行動を正すことができます。
叱責の厳しさはそのままに、相手の自尊心を守りながら軌道修正できるのです。

リーダーに必要なのは「勇気」

この体験を振り返るたびに思うのは、リーダーに本当に必要なのは“叱る勇気”ではなく、“正す勇気”だということです。

強い言葉で行動を止めるのは、相手を支配するためではありません。
命を守るためです。
信頼を守るためです。
組織文化を壊さないためです。
 その意味で「正す勇気」を持つことは、リーダーに課せられた責任であり、愛情の表現でもあります。

どこまで言っていいものか・・・・

私が若い頃に受けた叱責は、今も記憶に深く刻まれています。
そして今の私なら、それを「正す」という言葉で表現します。

では、この「正す」という考え方を、どうすれば現代のリーダーが安心して実践できるのでしょうか。 そこには、法律や判例、そして心理学の知見から見えてくる“安心して指導できるライン”があります。

続いては、「叱ってよいとされる場合」「叱ってはいけない場合」を、法律と科学の観点から整理していきます。

叱ってよいとされるライン、いけないライン

お伝えした私自身の経験――危険な行動を即座に叱責してもらったこと――は、今思えば「命を守るために必要な叱責」でした。
では、現代の職場でリーダーが「叱る」行為はどこまで許されるのでしょうか?
「パワハラ防止法」や「判例」、そして「心理学」の視点を組み合わせて整理すると、安心して実践できる“ライン”が見えてきます。

1.    法律の視点:「業務上必要かつ相当な範囲」

日本では2020年から「パワーハラスメント防止法」(労働施策総合推進法)が施行され、職場でのハラスメント防止が義務づけられました。
厚生労働省の指針では、「業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動」がパワハラとされています。

裏を返せば、「業務上必要で、相当な範囲」であれば、叱責は許されるということです。

許される叱責の例

• 危険行為を即時に止める
•    顧客に迷惑をかける不正行為を正す
•    職場の秩序を乱す言動を指摘する

許されない叱責の例

•    長時間にわたる人格否定
•    公衆の面前での恥辱を与える言動
•    業務に関係ない私生活への干渉

つまり法律は「叱ること自体」を禁止しているわけではなく、「叱り方」と「目的」に問題がある場合のみ違法性が生じるのです。

2.    判例が示す判断基準

実際の裁判でも、この「業務上必要かつ相当か」が判断の分かれ目になっています。

パワハラに当たるとされた例

•    部下の能力を否定し続け、長期にわたり精神的に追い込んだ
•    業務と関係ない人格を攻撃する言葉を繰り返し投げかけた

パワハラに当たらないとされた例

•    危険な作業手順を繰り返す部下に対して、強い口調で注意した
•    顧客に迷惑をかける行為に対して、厳しく指導した

判例からもわかるように、「叱る理由」と「叱り方の態様」がすべてです。 
安全や顧客信頼を守るための叱責は、正当と判断されやすいのです。

3.    心理学の視点:「行動を正す」

法律や判例に加えて、心理学の知見も叱責の正当性を裏づけます。

行動分析学(スキナー)

誤った行動は即時に否定的フィードバックを与えないと修正されにくい。
ただし「罰」ではなく「修正」として伝える方が持続的な効果を持つ。

コーチング心理学

人は「自律性」「有能感」「関係性」が満たされると動機づけられる。
叱責する際も、人格を否定せず、行動だけを正すことで自律性を保てる。

LABプロファイル

「近づきたい動機」の人には励ましが効くが、
「避けたい動機」の人には「やってはいけない」という強い言葉が響く。
つまり叱責が必要な人も確実に存在する。

4.    実務での「叱ってよい/いけない」の境界線

ここまでを踏まえて、リーダーが現場で安心して使える整理を提示します。

叱ってよいケース(正すべき場面)

•    命や安全に関わる危険行為(例:保護具を使わない、高所での不用意な行動)
•    顧客に重大な迷惑をかける行為(例:品質検査の省略、虚偽報告)
•    組織文化を壊す言動(例:ハラスメント、チームの雰囲気を壊す発言)

叱ってはいけないケース

•    人格や存在を否定する(「お前は人間としてダメだ」など)
•    業務と関係ない部分に踏み込む(私生活や家庭の事情への攻撃)
•    感情的な長時間の叱責(怒りのはけ口としての説教)

5.    叱るのではなく「正す」

ここで再度強調したいのは、言葉を「叱る」から「正す」に変えることです。

•    「叱る」→罰する、責める、怒鳴るというイメージ
•    「正す」→守る、導く、修正するというイメージ

読者であるリーダーの方々にとって、この言葉の違いは心理的な安心感を大きく変えます。
 「叱る」と思えばためらいが生まれる。でも「正す」と思えば勇気を持って言える。

そして実際に、法律も心理学も「行動を正す」ための指導は正当であると認めているのです。

では、現場のリーダーはどうすれば「叱るのは悪」という風潮を超えて、“正す勇気”を持つことができるのでしょうか。
その答えの一つは、私たちの組織文化に潜む「オーバーコンプライアンス」の問題を直視することにあります。

ルールが多すぎると、リーダーは何を叱るべきか分からなくなり、本当に守るべき命や信頼のための叱責まで、できなくなってしまうのです。

続けて、この「オーバーコンプライアンス」の現状と、それを乗り越えるための正しいルールの捉え方について掘り下げていきます。

オーバーコンプライアンスの罠と「正す文化」

「叱ってよい/いけない」のラインを整理しました。 
ここでさらに考えたいのは、なぜリーダーが「叱ること」にこれほどまで萎縮してしまうのか、という背景です。
その一因にあるのが オーバーコンプライアンス(過剰なルール化) です。

1.    過剰なルールが生む「窮屈さ」

「ヘルメットは絶対」「手袋も絶対」「このラインを越えてはいけない」「この器具は勝手に触ってはいけない」――。
安全のために定められたルールは本来必要なものですが、あまりにも細かく、数が増えすぎると現場はどうなるでしょうか。
リーダーも部下も、次第に「何を守るのが本当に大事なのか」が見えなくなります。 

結果として、
•    ルールを守ること自体が目的化する
•    「なぜそのルールが必要なのか」という意味が伝わらない
•    本当に命や顧客信頼を守るための行動が、かえって軽視される
つまり、オーバーコンプライアンスは、 「ルールを守るフリ」文化 を生み出してしまうのです。

2.    若い世代の視点

特に若い世代からすると、このオーバーコンプライアンスは「信用されていない」というメッセージに見えます。

ある20代社員はこう言いました。
 「ルールが細かすぎて、“こうしろ、ああしろ”ばかり。まるで自分は考えられない人間だと扱われているようで、やる気がなくなってしまう。」

若い人たちにとっては、「考える余地」が奪われることこそ最大のストレスです。
彼らは、「自由を与えられた上で、信頼されている」と感じた時に、最も力を発揮します。
ルールが細かすぎる組織は、結果的に若い世代の主体性を潰し、リーダーの「正す勇気」までも奪っているのです。

3.    本当に守るべきルールとは

ここで整理しておきたいのは、ルールは本来「命と信頼を守るための最低ライン」だということです。

絶対に守るべきルール
 → 命の危険を防ぐ、安全の根幹に関わるもの → 顧客に迷惑をかけないための品質・コンプライアンスに直結するもの

改善可能なルール
 → 効率や形式に関するもの → 現場に合わず、形骸化しているもの

この二つを区別せずに「全部守れ」とすれば、現場は疲弊します。
そしてリーダーは「どこまで叱っていいのか」分からなくなり、結果的に何も言えなくなるのです。

4.    メタファーで考える:赤信号と校則

オーバーコンプライアンスを理解するために、二つの比喩を紹介します。

赤信号の比喩
赤信号は「止まらなければ命に関わる」からこそ、絶対に守るべきルールです。
守らなければ大事故が起きる。
だからこそ警察官も強く制止するし、誰も「叱られるのは理不尽だ」とは言いません。

校則の比喩
一方で「靴下の色は白に限る」といった校則を思い出してください。
ルールとしては存在するものの、「なぜ守らなければならないのか」が不明確で、形だけになっている。
これに違反したからといって「人格を否定するように叱られる」と、生徒は納得感を失い、反発を覚えます。

つまり、赤信号のようなルールは絶対ですが、校則のようなルールは改善の余地がある。
オーバーコンプライアンスとは、この区別を失った状態なのです。

5.    「正す文化」への転換

では、リーダーはどうすればよいのでしょうか。 
その答えが 「叱る文化」から「正す文化」への転換 です。

「叱る文化」では、ルール違反はすべて同列に「悪」とされ、リーダーは一律に叱ることを求められます。
「正す文化」では、命や信頼に関わる違反は即座に正す。それ以外のルールは改善対象として共に考える。

こうすればリーダーは「叱ってよいライン」を迷う必要がなくなり、本当に大切な場面で強く伝える勇気を持てるようになります。

6.    読者への問いかけ

ここで改めて、読者であるあなたに問いかけたいと思います。
あなたの職場に、「校則のようなルール」はありませんか?
部下に「これもダメ、それもダメ」と伝えてばかりで、本当に守るべき命や信頼のルールが埋もれてはいませんか?

そして、そのせいで「叱る勇気」を失ってはいませんか?

リーダーが声を上げられない組織は、やがて大きな事故や不祥事を招きます。
反対に、リーダーが「正す勇気」を持ち、必要なルールを守り、不必要なルールを改善していける組織は、信頼と成長を手に入れるのです。

オーバーコンプライアンスの罠は、リーダーの勇気を奪います。 
しかし、叱るのではなく「正す」と考え、ルールの本質を見極めれば、リーダーは再び声を上げられるようになります。


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では、具体的にどう言葉を選び、部下に伝えれば「叱られた」と受け止められず、「正してもらえた」と感じてもらえるのでしょうか。

この先は、「叱る→正す」言葉の変換事例集を通じて、実際の現場で役立つ具体的な表現を紹介します。

 「叱る」を「正す」に変える8+1つの事例

ここまで読んでくださった方の中には、こう思われた方もいるかもしれません。
 「叱るのではなく正すのが大切なのは分かった。でも実際、どう言葉を変えればいいのか?」

その疑問に応えるために、私は実際の現場で頻繁に起こるケースを整理し、「叱る(NG)」から「正す(OK)」へ言葉を置き換えた8+1の事例集を作成しました。
これは単なる表現集ではなく、
リーダーが“安心して声を上げるための道具”です。

命を守る場面

まずは「命に関わる行為」に関する事例です。

事例1:安全靴を履かない

叱る(NG):「なんで安全靴も履かないんだ!ふざけるな!」
正す(OK):「そのまま作業すると怪我につながる。ここで必ず安全靴を履いてほしい。」

→ 命を守るためには厳しい言葉が必要です。
ただし「ふざけるな」という人格攻撃ではなく、「怪我につながる」という行動の結果に焦点を当てれば、相手は素直に受け止めやすくなります。

事例2:機械の安全カバーを外した

叱る(NG):「バカか!死にたいのか!」
正す(OK):「安全カバーを外すのは命に関わる危険行為だから、必ず元に戻して使おう。」

→ 強い表現が必要な場面ですが、相手を「バカ」と呼ぶ必要はありません。
危険の理由を伝えることで“正す”指導に変わります。

顧客信頼を守る場面

次に「顧客への迷惑を防ぐ」場面です。

事例3:納期を無視した

叱る(NG):「お前のせいで信用がなくなるだろ!」
正す(OK):「納期の調整は必ず報告して一緒に対応しよう。顧客の信頼に関わるからだ。」

→ 「お前のせいで」と言ってしまうと責任を押し付ける響きになります。
「顧客信頼」という守るべきものに焦点を当てれば、建設的になります。

事例4:品質検査を飛ばした

叱る(NG):「なんで検査もせずに出すんだ!」
正す(OK):「検査を飛ばすとお客様に迷惑がかかる。必ず手順を守ろう。」

→ 部下の動機を否定するのではなく、顧客を守るという目的を強調します。

職場文化を守る場面

職場の雰囲気や人間関係を守るための叱責も重要です。

事例5:ハラスメント的な発言

叱る(NG):「そんな言葉づかいするな!」
正す(OK):「その言い方だと相手が萎縮してしまう。安心して意見を言える場にしよう。」

→ 単なる「禁止」ではなく「どうすれば望ましい状態になるか」を添えることで、相手も納得しやすい。

事例6:仲間を批判する

叱る(NG):「人を悪く言うな!」
正す(OK):「批判よりも改善案を出してくれると、みんなで前に進めるよ。」

→ ただ「悪く言うな」と叱っても変わりません。代わりの行動を提示することで、行動修正が促されます。

習慣を正す場面

繰り返されやすい小さな行動も、放置すると大きな問題になります。

事例7:遅刻を繰り返す

叱る(NG):「何度遅刻すれば気が済むんだ!」
正す(OK):「遅刻が続くとみんなに影響が出る。改善のために一緒に対策を考えよう。」

→ 行為を責めるのではなく「影響」と「改善」を提示するのがポイントです。

事例8:会議中にスマホ

叱る(NG):「会議中に遊ぶな!」
正す(OK):「今は会議に集中してほしい。必要なら休憩で確認してね。」

→ 相手を子ども扱いせず、集中と休憩のバランスを提示します。

私自身の体験から

そして、事例集の最後に加えたいのが、話しした私自身の体験です。

事例9:足場でタンカンを飛び越える

叱る(NG):「こら!何やってるんだ!直ぐに来い!おまえは安全に対する姿勢がなってない!」
正す(OK):「整理しようとした気持ちはいい。でも飛び越えるのは大事故につながる危険行為だ。整理整頓は大切だから、安全な方法で一緒にやろう。」

あの時の上司の怒鳴り声は、私の命を守るために必要でした。 
しかし、今なら「正す」という言葉を選ぶことで、より効果的に伝えられると確信しています。

事例集の意味

これらの9の事例は、「叱ることが悪」なのではなく「叱り方次第で、正す行為になる」ということを示しています。

叱る(NG) → 感情的・人格否定的・責任転嫁的
正す(OK) → 行動に焦点・安全や信頼を守る意図・代替行動を示す

この違いを理解し、日常の言葉を少し変えるだけで、リーダーの指導は「恐怖」から「信頼」に変わります。

叱ることを「正す」に変えると、リーダーの心は軽くなり、部下は安心して行動を改めることができます。 
しかし、ここで大切なのは 「言葉を変える」だけでは不十分 だということです。
本当に組織を変えるには、「叱る勇気」ではなく「正す勇気」をリーダーが持ち、それを組織全体の文化として根付かせる必要があります。

それでは、叱れずに苦しむリーダーに向けて、勇気を持って「正す」と言えるための心構えと行動のヒントをお伝えします。

関連記事:科学的に裏付けられたリーダーシップの秘訣 │ 「話に引き込む」ための話術

 「正す勇気」を持つリーダーへ

ここまで、「叱る」という行為をどのように捉え直し、どのように「正す」に変えていけるかをお伝えしてきました。 
もしかすると、読みながら「なるほど」と納得した一方で、心のどこかにまだ引っかかりが残っている方もいるかもしれません。

「本当に自分にできるのだろうか」
「相手に嫌われるのが怖い」
「やんわり言った方が無難ではないか」

これはごく自然な感情です。
リーダーとは、孤独と葛藤の中で判断を下す役割を背負う存在だからです。
だからこそ、最後の章では、「正す勇気」をどう持ち、どう実践に移していくかをまとめたいと思います。

「叱れない」苦しさを直視する

現代の多くのリーダーが直面しているのは、「叱れない苦しさ」です。
 法律やコンプライアンスの高まり、世代間の価値観の違い、そして「叱る=悪」という社会的風潮。
これらが重なって、リーダーが声を上げられなくなっているのです。

結果として、部下や後輩は「やんわりした注意」を受けてもピンとこず、改善につながらない。リーダーは「伝わらない自分」に苛立ち、無力感を覚える。こうして両者の間に溝が広がっていきます。

大切なのは、この現実から目を逸らさないことです。 
「叱れない」ことは優しさではなく、結果として命や信頼を守るチャンスを失わせてしまう――。
その痛みを直視することが、第一歩なのです。

「正す」はリーダーの愛の表現

前半で紹介したように、私自身もかつて足場の上で危険な行動をとり、上司に激しく叱責された経験があります。
あの時の声は、まさに「命を守る愛の声」でした。

この体験を重ねて考えると、リーダーが「正す」のは愛情の表現にほかなりません。 
子どもが道路に飛び出しそうになったら、親は必死に「危ない!」と声を張り上げます。
それと同じです。

叱責は相手を否定する行為ではなく、未来の命や信頼を守るための行為です。
 この「正す」という視点を持つだけで、リーダーは恐れよりも「守りたい」という気持ちを原動力にできます。

「正す勇気」を持つための三つの軸

では具体的にどうすれば「正す勇気」を持てるのでしょうか。ここでは三つの軸を提案します。

(1) 判断基準を明確にする

•    命の危険
•    顧客への重大な迷惑
•    職場文化を壊す行為

この三つに該当する場合は、ためらわず「正す」。
逆に該当しない場合は、まずは対話や相談から入る。
明確な基準を持つことで「言うべきか、やめるべきか」という迷いが減ります。

(2) 言葉を置き換える

•    「叱る」ではなく「正す」
•    「責める」ではなく「守る」
•    「命令」ではなく「提案」

この言葉のシフトが、自分の心を軽くし、相手への伝わり方を変えます。

(3) 仲間と共有する

一人で背負うから苦しいのです。
職場の中で「正す文化」を共有し、「私たちは命と信頼を守るために正すのだ」と合意を作る。
そうすれば、リーダーは孤独から解放されます。

リーダーが「正す」とは、まるで荒波の中で光を放つ灯台のようなものです。
 船が暗闇の中で進路を見失ったとき、灯台は「そこに岩があるぞ!」と無言で知らせます。
船に「勝手にしろ」とは言いませんし、「お前がダメだから座礁するんだ」と責めることもしません。
 ただ、正しい航路を示し続けるのです。

リーダーが「正す」とは、この灯台の役割を果たすことに近い。
相手の自由を奪うのではなく、命と未来を守る光を照らしているのです。

実践に向けた行動指針

最後に、明日から実践できる行動指針を整理します。

•    観察する:危険・迷惑・文化破壊の行為を見逃さない。

•    即時に伝える:後回しにせず、その場で正す。

•    行動に焦点を当てる:人格を攻撃せず、具体的な行動だけを指摘する。

•    代替案を提示する:「こうすれば安全にできる」「こう改善すればよい」と示す。

•    愛を込める:「守りたい」という気持ちを言葉に乗せる。

この5つを意識するだけで、叱責は「恐怖」から「信頼」に変わります。


勇気を持って声を上げるあなたへ

リーダーとして「叱ることができない」と苦しんでいるあなたに、
伝えたいのは、次のひと言です。

叱ることは悪ではない。
正すことは愛である。

もし、あなたが声を上げなければ、部下や後輩は危険なまま突き進み、取り返しのつかない結果を招くかもしれません。 
しかし、あなたが勇気を持って「正す」ひと言を伝えれば、命が守られ、信頼が守られ、組織が成長します。

どうか、恐れずに。
「叱る」のではなく「正す」と言い換え、灯台のように仲間を導いてください。
 その勇気ある一歩こそが、あなた自身を、そして組織全体を強く優しくしていくのです。


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次世代リーダー育成研修|ナレッジリーン

ナレッジリーンは国や地方自治体を顧客として環境分野の調査業務や計画策定、企業の非財務分野に対するマネジメントコンサルティングや人材育成を主業務とするシンクタンク&コンサルティングファームです。

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マネジメントコンサルティング部 部長
坂田 和則

国内外において、企業内外教育、自己啓発、人材活性化、コストダウン改善のサポートを数多く手がける。「その気にさせるきっかけ」を研究しながら改善ファシリテーションの概念を構築し提唱している。 特に課題解決に必要なコミュニケーション、モチベーション、プレゼンテーション、リーダーシップ、解決行動活性化支援に強く、働く人の喜びを組織の成果につなげるよう活動中。 新5S思考術を用いたコンサルティングやセミナーを行い、企業支援数が190件以上及び年間延べ3,400人を越える人を対象に講演やセミナーの実績を誇る。

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