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コラム

違和感が消えた職場から事故は始まる |気づきを声にだし、受け止める組織は強くなる

目次

違和感が消えた職場から、事故は始まる

〜労災・クレーム・ヒューマンエラーを生む「組織の感覚麻痺ループ」とは〜

労災が減らない。クレームが減らない。ヒューマンエラーも減らない。
対策しているはずなのに、なぜか同じような問題が繰り返される。ありますよね。

そのたびに、「もっと注意しよう」「意識を高めよう」「教育を徹底しよう」と言いたくなります。もちろん、それも大事です。

けれど、本当にそうでしょうか。
私はここをもう少し丁寧に見たほうがいいと思っています。
問題は、現場の人の意識が低いことではなく、職場の中で“何を見るべきか”が曖昧なままになっていることかもしれません。
小さな違和感が違和感として扱われず、見慣れた風景になり、共有されないまま潜在化していく。
そうして、ある日それが労災や品質不具合、クレームとして顕在化する。
私は、その静かな見逃しの構造こそ、いま管理職や経営者が見直すべき本質だと思うのです。 


「注意不足」で片づけた瞬間に、見えなくなるものがある

労災が減らない。クレームが減らない。ヒューマンエラーが減らない。
そんなとき、職場では決まって似たような言葉が飛び交います。
「もっと注意しなければならない」
「意識が低いのではないか」
「教育が足りないのではないか」
ありますよね。たしかに、その言葉そのものが完全に間違っているとは思いません。

現場で働く一人ひとりが注意深く仕事をすることは大事ですし、安全意識も品質意識も、ないよりあったほうがいいに決まっています。
けれど私は、ここで一度立ち止まって考えたいのです。
本当にそうでしょうか。
問題の中心は、そんなに単純に「もっと気をつけるべきだった」という話なのでしょうか。

私は、現場を見れば見るほど、ここをもう少し丁寧に見たほうがいいと思うようになりました。
表面だけを見ると、事故や不具合は、その瞬間に起きた誰かの不注意に見えます。
ですが、実際にはそう単純ではありません。
問題は、その一瞬のミスだけではなく、その手前にある小さな違和感の積み重ねにあることが多いのです。

見えていたのに言葉にならなかったもの。
気になっていたのに共有されなかったもの。
少しやりにくいと感じていたのに、「これくらいは仕方がない」と飲み込まれてきたもの。
私は、そういうものの中にこそ、本当の原因が潜んでいることが少なくないと感じています。

たとえば、通路の角に仮置きされた資材が少しだけ張り出しているとします。
誰かがそこを通るたびに、「ちょっと歩きにくいな」と感じる。
でも、通れないわけではない。
危険だと大声で言うほどでもない。
だから、その違和感は心の中で処理されます。

設備の奥にある計器が少し見づらい。
点検のたびに体を少しかがめる必要がある。
でも、見えないわけではない。
だから、そのままにされる。

作業台の高さがわずかに合っていない。
少し無理な姿勢になる。
でも、仕事はできる。
だから、「まあ、これくらいなら」と誰も言わない。

こうしたことは、一つひとつを切り取れば小さな話です。
大げさに騒ぐほどではないようにも見えるでしょう。
ですが、私はここを見落としてはいけないと思うのです。
なぜなら、現場の大きな問題は、こうした“小さすぎて議題にならないこと”の上に育っていくからです。

人は、大きな危険には反応します。
目の前で何かが落ちれば身構えるし、異常な音がすれば振り向きます。
けれど、毎日少しだけ感じる違和感には、だんだん慣れてしまいます。
最初は「やりにくい」と感じていたものが、いつの間にか「こんなものだ」になる。最初は「危ないかもしれない」と思ったものが、「今まで大丈夫だったし」に変わっていく。

この変化は、外から見ると案外見えません。
だからこそ怖いのです。
怖いのは、危険そのものだけではありません。
危険を危険として感じなくなることです。

ここから先、組織は静かに鈍っていきます。
誰も大きな声を上げない。誰も強く反対しない。表面上は穏やかです。
けれど、その穏やかさの中で、小さな見逃しが静かに積み重なっていくのです。

ここには、人を責めるだけでは解決しない構造があります。
人間は、見慣れたものを風景として処理する傾向があります。
いつもそこにあるものは、だんだん意識に上がりにくくなる。
だから、職場で起きている問題を「本人の注意不足」で片づけてしまうと、その背後にある構造が見えなくなります。

むしろ逆です。
注意不足という言葉で整理した瞬間に、職場の本当の危うさが見えなくなっていくのです。
私は現場で何度も、そうした場面を見てきました。
何かが起きたあと、会議で原因を話し合う。
すると、「本人が確認していれば防げた」「もっと慎重にやるべきだった」という話になる。

もちろん、その視点も必要です。
ですが、それだけで終わってしまうと、同じことは形を変えてまた起きやすくなります。
なぜなら、その人が働いていた環境も、その人が日々感じていた“少しのやりにくさ”も、そのまま残るからです。

考えてみてほしいのです。
歩きにくい通路がそのままだったら、次にそこを通る人もまた同じ違和感を抱えます。
見づらい計器がそのままだったら、次に点検する人もまた同じように無理をします。
言いにくい空気がそのままだったら、誰かが気づいても、また同じように黙るかもしれません。
つまり、一人のミスに見えたものは、本当は一人の問題ではないかもしれないのです。

私はここを本当に大事だと思っています。
問題は、違和感があったかどうかではありません。
違和感が、職場の中で扱われたかどうかです。
違和感が職場の共通言語にならなければ、改善のテーマにはなりません。
改善のテーマにならなければ、リスクは見えないまま潜在化していきます。
そして、ある日になって初めて、「こんなことが起きるなんて思わなかった」と表面に出てくるのです。


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たとえば、朝礼が終わり、いつものようにラインが動き始める。
通路の端には、数日前から仮置きされた資材がある。
みんな、その横を通るたびに少しだけ体をひねる。
設備の点検をする人は、奥の表示が少し見づらいので体をかがめる。
誰も仕事を止めるほどではない。
だから、誰も言わない。挨拶はある。
でも、「ちょっとこれ、やりにくいですね」と雑談のように言える空気は薄い。

そんなある日、新人が台車を押してその通路を曲がる。
少しはみ出した資材にハンドルを取られ、バランスを崩す。
幸い大きな労災には至らなかった。
けれど、積んでいた部材に傷がつき、出荷判定が止まる。
そこで初めて、「なぜ気をつけなかったんだ」という話になる。

でも、本当にそうでしょうか。
私は、問題はその日の新人だけではないと思います。
歩きにくさは前からあった。
見づらさも前からあった。
言いにくさも前からあった。
つまり、その問題はその日突然生まれたのではなく、前から静かに育っていたのです。

ここを見落としてしまうと、対策はいつも「もっと注意しよう」で終わります。
そして、現場の人はだんだん苦しくなります。
自分が悪かったのだと思い込む。
もっと頑張らなければと思う。
でも、構造が変わっていないから、また同じようなことが起きる。
すると今度は、「自分たちは何度言っても変われない職場なんだ」という無力感まで生まれやすくなります。

これは、現場にとっても、管理職にとっても、経営にとっても、非常にもったいない状態です。
私は、問題解決の出発点は、結果に飛びつくことではないと思っています。
その手前にある、小さな違和感に目を向けることです。
歩きにくい。見づらい。やりにくい。言いにくい。
そうした“ちいさなにくさ”を拾い上げることです。

なぜなら、大きな事故や大きなクレームは、いきなり生まれることは少ないからです。
多くは、日常の中で見逃されてきた違和感が、積み重なって形になったものです。

だからこそ、私は管理職や経営者に問いかけたいのです。
あなたの職場では、何を見るべきかが定義されているでしょうか。
どんな状態を「危ない」とみなし、どんな状態を「やりにくい」と捉え、どんな違和感を言葉にしてよいことになっているでしょうか。
もしそれが曖昧なままだとしたら、現場では今日もまた、小さな違和感が風景に変わっているかもしれません。

そして、その静かな変化こそが、私はいちばん怖いと思っています。
問題は、表に出た事故だけではありません。
事故が起きるまで、何も起きていないように見えてしまう、その職場の感覚のほうなのです。

だから次に考えたいのは、「意識」とは何か、「力量」とは何か、ということです。
ただ気をつけろと言うだけでは、人は変わりません。
知っているだけでも、できるだけでも足りません。
ここをどう定義し直すかで、組織の見え方は大きく変わってきます。 

意識は気合いではない。力量も資格だけではない

ここまでは、事故や不具合は突然起きるのではなく、その手前にある小さな違和感が見逃され、共有されず、潜在化した結果として表に出てくることをお話しました。
けれど、ここで多くの職場が次にぶつかるのは、「では、何を変えればいいのか」という問いです。

そこでよく使われるのが、「もっと安全意識を高めよう」「品質意識を高めよう」「力量不足をなくそう」という言葉です。
ありますよね。
もちろん、これらの言葉が悪いわけではありません。
意識も力量も、職場を守るうえで欠かせないものです。

ですが私は、この二つの言葉が便利すぎるがゆえに、中身が曖昧なまま使われやすいことに危うさを感じています。
なぜなら、曖昧な言葉は、人を育てる言葉にもなれば、人を責める言葉にもなってしまうからです。

「意識が低い」と言われた人は、何をどう変えればいいのでしょうか。
もっと緊張しろということなのか、もっと真面目にやれということなのか、もっと我慢しろということなのか。
実は、言っている側も、言われた側も、そこをはっきりさせないまま会話していることが少なくありません。

「力量不足」も同じです。資格がないことなのか、知識が足りないことなのか、経験が浅いことなのか、それとも、知ってはいるが現場で使えないことなのか。
ここが曖昧なままだと、言葉は飛び交っても、職場の実態は変わりにくい。
私はここを見落としてはいけないと思うのです。

表面だけを見ると、「意識を高める」「力量を上げる」は正しい言葉に見えます。
ですが、実際にはそう単純ではありません。
大切なのは、その言葉を現場で扱える形にまで分解し、何を見ればよいのか、何を育てればよいのかを明確にすることなんです。

そこで私はまず、力量とは何かをかなり具体的にお伝えするようにしています。「力量とは、知っていることとできることが合わさった状態だと。」

私はこの説明を現場でよくします。知っていても、できなければ意味がありません。
たとえば、ルールは知っている。手順書も読んでいる。教育も受けている。
けれど、実際の現場で迷ったとき、忙しさに追われたとき、いつもと違う条件に出会ったときに、その知識を正しい行動へつなげられなければ、職場を守る力にはなりません。

逆に、できているように見えても、それだけでは足りないことがあります。
なぜその順番でやるのか。
なぜそこを確認しなければならないのか。
なぜその動作を飛ばしてはいけないのか。
ここが腹落ちしていないと、人は条件が変わった瞬間に弱くなります。

普段通りのときは何となくできる。
けれど、少し焦ったり、設備の状態が変わったり、割り込みの仕事が入ったりすると、途端に判断がぶれる。
これは、できているように見えて、実は「理解したうえでできている」状態ではないからです。
だから私は、知識だけでもだめ、技能だけでもだめだと思っています。
知っていて、しかも、なぜそれをするのかを理解したうえで、現場でできること。
ここまで含めて初めて力量だと思うのです。

この見方に立つと、管理職や経営者が見ているものも大きく変わってきます。
教育を実施した、資格を取らせた、手順書を配った、だからもう大丈夫。
そんなふうに考えたくなる気持ちはよく分かります。
ですが、本当にそうでしょうか。
私は、そこはスタート地点にすぎないと思っています。

教育の実施は、力量が育った証拠ではありません。
資格の保有も、力量が職場で発揮される保証にはなりません。
本当に見るべきなのは、その人が現場で迷ったとき、異常に直面したとき、想定外にぶつかったときに、理解に基づいて動けるかどうかです。
そして、もっと言えば、自分の言葉で「なぜそれをするのか」を語れるかどうかです。

ここが弱いままだと、教育記録は残っていても、事故も不具合も減りにくい。なぜなら、知識が現場の判断力に変わっていないからです。
私は、ISOの要求事項に「力量」という言葉が出てくるたびに、ここを考えたくなります。

力量とは、書類の中にあるものではなく、現場で結果を支える力として存在していなければ意味がない。ここを見ないと、力量という言葉は、ただの管理用語になってしまいます。

そして、もう一つ大事なのが意識とは何かです。
私はここも、かなり丁寧に扱いたいと思っています。
意識という言葉は、ともすると「気合い」や「緊張感」や「根性」のようなものとして語られがちです。

ですが、本当にそうでしょうか。
私は、意識とはもっと具体的で、もっと行動に近いものだと思っています。
私が現場でよくお話しするのは、意識とは気づくことと伝えられることで成り立っている、という考え方です。

まずは、気づくこと。
普段見ている風景の中に、「何か変だな」「少しやりにくいな」「これ、危ないかもしれないな」という違和感を持てることです。
ここが第一歩です。

けれど、気づいただけでは、組織としてはまだ何も起きていません。
大事なのは、その違和感を言葉にして周囲に伝えられることです。「ここ、少し歩きにくいです」「この表示、見づらいですね」「このやり方、ちょっと無理がある気がします」そう言葉にして初めて、その気づきは個人の感覚から組織の知恵へ変わり始めます。

だから私は、意識とは単に危険を感じる心の状態ではなく、違和感を感知し、それを共有可能な言葉に変える力だと考えているのです。

ここで本当に怖いのは、気づいていないことだけではありません。
気づいているのに伝えられないことです。
現場には、意外と気づいている人がいます。
「ちょっと危ない気がする」「この作業、前からやりにくい」「あの置き方、いつか何か起きそうだ」そう感じている人は案外いるものです。

けれど、その多くは言葉になりません。
なぜなら、「これくらいで言うのは大げさかもしれない」「忙しそうだから後にしよう」「根拠を聞かれたらうまく説明できない」「こんなことを言ったら細かいと思われるかもしれない」といった思いが先に立つからです。

つまり、意識がないのではなく、意識が表に出る前に止まってしまう構造があるのです。
ここを見ずに「もっと発言しろ」「もっと意識を持て」と言ってしまうと、現場はますます苦しくなります。

本人は、言えなかった自分を責める。
上司は、言わない部下に苛立つ。
けれど実際には、その間にある空気や反応の積み重ねが、発言を止めているのです。
私は、ここを個人の性格の問題で片づけるべきではないと思っています。
問題は、人の勇気の量ではなく、違和感が言葉になってもよいと職場が扱っているかどうかなんです。

私は、この差がもっともはっきり表れるのは、誰かが違和感を口にしたときのリーダーの反応だと思っています。
たとえば、メンバーが「ここ、少し危ない気がします」と言ったときに、「いや、それは大丈夫でしょ」とすぐ返す職場があります。

悪気はないのかもしれません。
早く安心させたいのかもしれません。
けれど、その一言で対話は終わります。
言った人は、「ああ、こういうことは言わないほうがいいんだな」と学習します。

逆に、強いチームのリーダーは、「そう感じたのはなぜですか?」と返します。
この違いは本当に大きいのです。
前者は違和感を結論で閉じます。
後者は違和感を問いに変えます。

すると、言った人も自分の感覚をもう一段深く言葉にしようとしますし、周囲も一緒に考え始めます。
私は、問題解決に強いチームとは、違和感を否定しないチームだと思っています。
弱いチームは違和感を結論で潰します。強いチームは違和感を問いに変えます。
この違いが、後に大きな差になります。

だからこそ、意識を高めるというのは、「もっと気をつけろ」と言うことではありません。
私はむしろ逆だと思っています。
意識を高めるには、まずリーダーがあるべき姿を描かなければなりません。
安全とはどんな状態なのか。
品質が守られている職場とはどんな姿なのか。

ただ「注意しろ」と言うのではなく、歩きやすい通路、見やすい表示、点検しやすい設備、声をかけやすい空気、そうした具体的な状態を言葉にすることです。
そのうえで、現実とのギャップを見せる。

歩きやすい職場と歩きにくい職場、仕事しやすい状態と仕事しにくい状態、点検しやすい設備と点検しにくい設備。
その違いを、見せて、話して、時には体験してもらう。
すると、人は比較の軸を持てるようになります。

何となくの違和感が、「ああ、これがギャップなんだ」と認識しやすくなるのです。
ここまで来て初めて、メンバーに「ギャップを探してみてください」と言えるようになる。
そして、報告が上がってきたら、根拠がまだ弱くても、まず感謝して受け止める。「よく言ってくれた」「気づいてくれてありがとう」と。

この受け止めがないと、次の気づきは育ちません。
さらに、その気づきを放置せず、「にくい」を「やすい」に変えていく。
歩きにくいを歩きやすく、見にくいを見やすく、言いにくいを言いやすく、やりにくいをやりやすく。
私は、この変化が、意識を育て、力量を現場で生きたものにすると考えています。

表面だけを見ると、「意識が低い」「力量不足だ」という言葉は便利です。
ですが、実際にはそう単純ではありません。
問題は、人のやる気が足りないことではなく、気づけるように設計されているか、伝えられるように扱われているか、知っていることができることへつながっているかです。

ここを見ずに、個人の気持ちだけを責めると、現場は疲弊します。
逆に、ここを構造として見られるようになると、職場の問題は「誰かが悪い」ではなく、「みんなで改善できるもの」として見え始めます。

私は、その視点の転換こそが、問題解決に強いチームづくりの入口だと思っています。
次に見たいのは、では現場で具体的に何を見るべきか、ということです。
どこに死角があり、どこに摩擦があり、どこに沈黙が生まれているのか。
そこを見えるようにすると、職場は静かに、でも確実に変わり始めるのです。

 

何を見るべきかが定義されていない職場では、違和感は育たない

ここまでは、事故や不具合は突然起きるのではなく、その手前にある小さな違和感が見逃され、共有されず、潜在化した結果として表に出てくることをお話しました。
そして、その背景にある「意識」や「力量」という言葉を、精神論ではなく、行動と関係性の構造として捉え直しました。

では、そこまで見えてきたうえで、次に考えたいのは、現場で具体的に何を見るべきかということです。
ここが曖昧なままだと、どれだけ真面目な人がいても、どれだけ教育をしても、違和感はなかなか育ちません。
なぜなら、人は「何を見ればいいか」が分からない状態では、目の前の仕事をこなすことに意識が向きやすく、日常に埋もれた小さな異変を拾い上げにくいからです。

私はここをとても大事だと思っています。問題解決に強いチームとは、発想が豊かな人が多いチームというよりも、違和感が生まれやすい場所を職場として見えるようにしているチームなんです。

私は現場を見るとき、まず三つの視点で見ます。
ひとつ目は環境的死角。
ふたつ目は運用的摩擦。
そして三つ目は風土的沈黙です。

この三つは、一見すると別々の話に見えるかもしれません。
ですが実際には、かなり密接につながっています。

見えにくいものがある。やりにくいことがある。言いにくい空気がある。
この三つが重なると、職場の中で違和感はどんどん埋もれていきます。
そして埋もれた違和感は、やがて事故や品質不具合やクレームという形で表面化します。

だから私は、現場に行ったとき、最初から「誰が悪いのか」を見ようとはしません。
まず見るのは、この職場にはどんな死角があり、どんな摩擦があり、どんな沈黙が流れているのかです。
ここを見ると、表に出ている問題の背後にある構造が、かなり見えてくるのです。

まず、環境的死角です。
これは、見えにくい、見えない、聞こえにくい、感じにくいなど、五感で異常を捉えにくい職場環境や設備の構造を指します。

たとえば、奥まっていて表示が見づらい計器、陰になって確認しにくい配管、異音が出ていても周囲の騒音に紛れてしまう設備、通路から死角になっている置き場、臭いで気づくべき漏れが空調や換気の流れで分かりにくくなっている場所。

こうしたものは、現場では意外と「そういうものだ」と受け止められてしまいがちです。
けれど私は、ここを見落としてはいけないと思うのです。
なぜなら、人は見えにくいものを、気合いだけで見続けることはできないからです。

聞こえにくいものを、根性で聞き分け続けることもできません。
表面だけを見ると、「ちゃんと確認しろ」「見落とすな」という指導で済みそうに見えますが、実際にはそう単純ではありません。

確認しづらい構造があるのに、それを個人の注意だけで補わせるのは、かなり無理のある話です。
そして怖いのは、その無理が日常化すると、本人たちも「これくらい見えにくいのは普通だ」と感じ始めることです。

つまり、環境の死角が、やがて感覚の死角に変わっていくのです。
ここから、組織の感覚麻痺ループは静かに始まります。

次に、運用的摩擦です。
私はここを、特に管理職や経営者に見てほしいと思っています。
運用的摩擦とは、作業しにくい、見えにくい、動きにくい、運びにくい、点検しにくいなど、仕事の流れの中に存在する“ちいさな引っかかり”です。

通路が少し狭い。物の置き方が少し悪い。工具の取り出しが少し手間。点検位置までが少し遠い。作業姿勢が少し無理。
こうした「少し」は、会議の議題にはなりにくいんです。

大きな不具合でもない。止まるほどでもない。事故が起きたわけでもない。
だから、放置されやすい。
けれど、私は現場の改善実指導を続ける中で、むしろこの“少し”の蓄積こそが、問題解決力を弱らせていくと感じています。

なぜなら、人はやりにくい状況の中では、無意識のうちに認知のエネルギーを余計に使うからです。
歩きにくい通路を通る。見づらい表示を読む。取りにくい工具を探す。無理な姿勢で点検する。

これらは一つひとつが小さく見えても、注意力や集中力をじわじわ奪っていきます。
すると、本来なら気づけたはずの小さな異常や違和感に向ける余白が、少しずつ削られていくのです。つまり、運用的摩擦は単に「疲れる」という話ではありません。問題を発見する力そのものを削っていくのです。

ここで見落としてはいけないのは、やりにくさに人が慣れてしまうことです。最初は「この動線、ちょっと無理があるな」と感じていた人も、毎日そこで仕事をしているうちに、それを前提として動くようになります。

少し体をひねる。少し無理な姿勢をとる。少し遠回りする。少し手順を飛ばしたくなる。
そうした微調整が、現場では当たり前の工夫として扱われることもあります。もちろん、現場の工夫自体は悪いことではありません。

むしろ、現場の知恵は非常に大切です。
けれど、その工夫が「本来あるべき状態とのギャップ」を見えなくしてしまうとしたら、話は別です。
やりにくいことを、うまくこなせるようになったからといって、やりにくさが消えたわけではありません。
ここを取り違えると、職場は改善のチャンスを逃します。

私は、現場で何かがうまく回っているように見えるときほど、「それ、本当にやりやすい状態ですか?」と問い直したいのです。
なぜなら、表面上の安定の裏に、我慢や無理や慣れが隠れていることが少なくないからです。

そして三つ目が、風土的沈黙です。
私は、この三つの中で最も見えにくく、最も根深いものがこれだと思っています。

環境的死角や運用的摩擦は、まだ目に見える部分があります。
歩きにくい通路、見えにくい表示、やりにくい作業。
これらは、注意して見れば比較的捉えやすい。
けれど風土的沈黙は、空気の中にあります。

あいさつが少ない。声掛けが少ない。ちょっとしたことを言いにくい。
違和感を口にすると、面倒そうな顔をされる。
質問すると、「そんなことも分からないの?」という空気が流れる。
あるいは、表立って否定はされなくても、言ったあとのフォローがない。

こうした職場では、気づきが言葉になりません。
私はここを非常に大事だと思っています。
なぜなら、どれだけ現場に違和感が存在しても、それが共有されなければ、組織の知恵にはならないからです。
問題は、違和感がないことではありません。
違和感があるのに、表に出てこないことなんです。

私は、強いチームとそうでないチームの差は、違和感への向き合い方に出ると感じています。
怖いのは、「それは大丈夫です」と言い切るチームです。
判断が早いように見えるかもしれません。
自信があるように見えるかもしれません。

けれど、その一言で対話が終わってしまうと、リスクは深掘りされません。
逆に、強いチームは「なぜそう感じたのですか?」と返します。

この違いは大きいです。
前者は違和感を結論で閉じます。
後者は違和感を問いに変えます。
すると、そこから隠れていた問題が見えてくるのです。

誰かの小さな引っかかりが、別の人の経験とつながる。
さらに別の人が、「実は前から少し気になっていました」と話し始める。
こうして初めて、組織は小さな違和感を“改善の入口”として扱えるようになります。

私は、問題解決に強いチームとは、頭のいい人が多いチームではなく、違和感を問いに変えて共有できるチームだと思っています。

ここで本当に大事なのは、この三つが別々に存在しているのではなく、互いに強め合うことです。
環境的死角があると、異常は見えにくくなります。
運用的摩擦があると、人は余計な負担を抱え、違和感に向ける余裕を失います。
そこに風土的沈黙があると、わずかに感じた違和感すら表に出なくなる。

すると、職場では「何も起きていないように見える」状態が続きます。
ここが本当に怖いのです。静かなんです。大きな声も上がらない。
揉め事も少ない。表面だけを見ると、平和に見えることさえあります。

けれど実際には、違和感が埋もれ、リスクが潜り、何を見るべきかがますます曖昧になっていく。
私はこれを、まさに組織の感覚麻痺ループだと感じています。

違和感スルー。雑談・共有なし。リスクの潜在化。視点未定義。
このループが回り始めると、組織はじわじわと感度を失っていきます。

見えているのに感じない。
気づいているのに言わない。
言わないから変わらない。
変わらないから、ますます慣れてしまう。
事故や不具合が減らない職場とは、危険が多い職場というより、危険の芽を危険の芽として扱えなくなっている職場なのかもしれません。

だからこそ私は、管理職や経営者にお伝えしたいのです。
現場で本当に見るべきなのは、結果として起きた事故やクレームだけではありません。
その手前にある、歩きにくさ、見えにくさ、やりにくさ、言いにくさです。

ここに光を当てない限り、問題解決はいつまでも後追いになります。
逆に、この三つの視点を持てるようになると、現場はかなり変わります。
「ここは見えにくいですね」「このやり方、少し無理がありますね」「この職場、声を掛け合う量が少ないですね」そうやって見えるものが増えると、違和感が違和感として扱われるようになります。

そして、違和感が言葉になり、言葉になった違和感が改善のテーマになります。
私は、問題解決に強いチームとは、改善案がたくさん出るチームというより、違和感を違和感のまま放置しないチームだと思っています。その違いが、やがて大きな差になります。

では、このループをどうやって壊していくのか。
ルールを増やせばいいのか。
教育を厳しくすればいいのか。

私はそこにも、少し違う見方をしています。
次の章では、この組織の感覚麻痺ループを壊すために、リーダーや経営者が何をすべきか、そしてなぜ「気づきが育つ場づくり」が決定的に大切なのかを、もう一歩踏み込んで考えていきたいと思います。 

ループを壊すのは、ルールの追加ではなく「気づきが育つ場づくり」である

ここまで見てきたように、労災やクレームやヒューマンエラーが減らない職場では、たいてい何か一つの大きな原因だけがあるわけではありません。

環境的死角があり、運用的摩擦があり、風土的沈黙があり、その中で小さな違和感が見逃され、共有されず、潜在化していく。
そして、その状態が長く続くと、組織の感覚そのものが鈍っていく。

私は、この流れを「組織の感覚麻痺ループ」と呼びたいと思っています。
では、このループをどうやって壊すのか。

ここで多くの職場がやりがちなのは、何かが起きたあとにルールを一つ増やし、確認項目を一つ足し、注意喚起の張り紙を増やすことです。
もちろん、それらが必要な場面もあります。

けれど、本当にそうでしょうか。
私はここをもう少し丁寧に見たほうがいいと思っています。

なぜなら、ルールや注意喚起だけでは、感覚麻痺そのものは治りにくいからです。
問題は、ルールが少ないことよりも、違和感が違和感として立ち上がらなくなっていることにあるからです。

表面だけを見ると、事故や不具合が起きた職場には、「もっと厳しく管理しなければならない」と思えることがあります。
確かに、管理が甘い場面もあるでしょう。

けれど、実際にはそう単純ではありません。
厳しくすることと、感度が高くなることは同じではないんです。
むしろ逆です。管理の圧だけが強くなり、問いや対話が減ると、現場の人は余計に黙るようになります。
言われたことだけをこなすようになり、自分が感じた小さな違和感を表に出しにくくなる。
そうすると、表面上は従順で静かな職場になるかもしれません。

けれど、その静けさは健全さではありません。
私はここを見落としてはいけないと思うのです。
本当に必要なのは、ルールを守らせる空気だけではなく、違和感を持ち、言葉にし、共有し、改善へつなげられる空気です。つまり、気づきが育つ場づくりなんです。

私は、意識を高めるにはプロセスが必要だと考えています。
いきなり「もっと気づけ」と言っても、人は気づけるようにはなりません。

まず必要なのは、リーダーがあるべき姿を描くことです。
どんな職場が安全なのか。
どんな状態が品質を守れていると言えるのか。
どんな現場なら、メンバーが安心して声を上げられるのか。

ここがぼんやりしていると、現場の人は何を目安に見ればいいのか分かりません。
だからこそ、リーダーは「何を見るべきか」を言葉にしなければならないのです。

歩きやすい通路とはどういう状態か。
点検しやすい設備とは何か。
見やすい表示とはどういうことか。
言いやすい空気とは、日常のどんなやり取りの中に現れるのか。

ここが明確になると、現場の人の中に比較の軸が生まれます。
すると、「何となく変だな」が、「ここは本来の姿とズレている」という認識へ変わっていくのです。

次に必要なのは、そのあるべき姿を、ただ説明するだけでなく、具体的に見せることです。
私はここをとても大事にしています。
なぜなら、人は抽象的な理想だけでは、現場のギャップを捉えにくいからです。

歩きやすい職場と歩きにくい職場。
点検しやすい設備と点検しにくい設備。
仕事しやすい状態と仕事しにくい状態。
こうした違いを、言葉だけでなく、実際に見て、比べて、感じてもらう。時には体験してもらう。

そうすると、今まで風景だったものが、急に意味を持ち始めます。
「ああ、これは歩きにくいんだ」「これは見えにくいまま放置されていたんだ」「この置き方は、やりにくさを生んでいたんだ」私は、この“見え方が変わる瞬間”が非常に大切だと思っています。
人は、自分で違いを感じたときに初めて、本当の意味で気づきを持てるからです。

そのうえで、メンバーにギャップを探してもらうことが必要です。
ここで大切なのは、最初から立派な改善提案を求めないことです。
よくあるのが、「もっと改善案を出しなさい」「もっと主体的に提案しなさい」というアプローチです。

もちろん、その方向性が悪いわけではありません。
けれど、本当にそうでしょうか。
私は、改善案が出ない理由の多くは、発想力の不足ではなく、違和感が十分に育っていないことにあると思っています。

違和感がなければ、問いは生まれません。
問いがなければ、改善は始まりません。
だからこそ、最初に求めるべきは、完成度の高い提案ではなく、「何か気になる」「ここは少しやりにくい」「この状態は本当にいいのだろうか」という小さな気づきなんです。

ここを歓迎できる職場は、改善活動が生きます。逆に、最初から根拠の厚い提案や完璧な説明ばかりを求める職場では、気づきの芽そのものが育ちにくくなります。

そして、ここから先が極めて重要です。
メンバーがギャップに気づき、それを報告したとき、リーダーがどう受け止めるかです。

私は、この場面にその職場の未来が表れると思っています。
報告に対して、「根拠はあるの?」「それで何が問題なの?」「それくらいで止めていたら仕事にならないよ」と返す職場があります。

確かに、事実確認や優先順位づけは必要です。
ですが、その前にやるべきことがあると私は思っています。

それは、まず感謝して受け止めることです。
「気づいてくれてありがとう」「言ってくれてありがとう」ここがないと、人は次から言わなくなります。

人は、報告内容そのものだけでなく、報告したときの扱われ方を強く覚えています。
だからこそ、最初の受け止め方が、その後の発言文化を決めるのです。
私は、根拠がまだ薄くてもいいと思っています。
説明が少し曖昧でもいいと思っています。
大事なのは、その違和感を潰さず、対話の入口として扱うことです。

ここで「なぜそう感じたのですか?」と問い返せる職場は、強い。
ここで「それは大丈夫」と閉じてしまう職場は、静かに弱くなる。
私は本当にそう感じています。

そして最後に必要なのが、フォローすることです。
ここが抜けると、どれだけ気づきを集めても、職場は変わりません。
私はよく、「にくいをやすくに変える」とお話しします。

歩きにくいを歩きやすく。
見にくいを見やすく。
言いにくいを言いやすく。
やりにくいをやりやすく。

ここまでつながって初めて、現場の人は「言った意味があった」「気づきが仕事を変えるんだ」と感じます。

逆に、報告だけ集めて終わる、アンケートだけ取って終わる、指摘だけ受けて何も変わらない。
そういう職場では、せっかく芽生えた違和感も、次第に沈んでいきます。

私は、改善が進まない組織の多くは、発見力が低いというより、発見されたものを改善へ変えるフォローの仕組みが弱いのだと思っています。
ここを整えない限り、気づきはやがて諦めに変わります。

だから私は、新5S思考術セミナーや雑談セミナー、リーダーズコミュニケーション、問題解決セミナーを続けています。

これは、単に知識を教えるためではありません。現場に考えさせ、気づかせ、動かせる人とチームを育てたいからです。

さらに、私は現場での改善実指導も大事にしています。
なぜなら、机上の理解だけでは、人の感覚は変わりにくいからです。

実際の通路を見て、「ここは歩きにくいですね」と一緒に確認する。
設備の前に立って、「この表示、確かに見えにくいですね」と共有する。
職場の空気を感じながら、「ここは、ちょっと言いにくさがありますね」と言語化する。

そうした具体的なプロセスの中で、人は初めて、自分たちの職場を“別の視点”で見られるようになります。
私は、ここにとても大きな価値があると思っています。

教えるだけでは、現場は動かない。けれど、一緒に見て、一緒に考えて、一緒に言葉にして、一緒に変えるところまで行くと、職場の感度は確実に変わっていくのです。

私は、問題解決に強いチームとは、優秀な人ばかりが集まっているチームだとは思っていません。
改善案が派手にたくさん出るチームでもありません。
本当に強いのは、小さな違和感を見逃さず、それを安心して言葉にできて、対話の中で意味づけし、改善へつなげられるチームです。

言い換えるなら、気づきのあるチームです。
こういうチームでは、事故や不具合が起きないわけではありません。
けれど、起きたときにそこから学べる。

起きる前の小さな前ぶれにも反応できる。
そして何より、「誰かが悪い」で終わらせず、「この構造はどう変えればいいか」に視点を向けられる。
私は、そこに問題解決力の本質があると思っています。

労災も、クレームも、ヒューマンエラーも、本気で減らしたい。
そう思うなら、結果だけを追いかけていては足りません。
事故件数や不良件数の数字を見ることは大事です。
ですが、その数字の手前にある、歩きにくさ、見づらさ、やりにくさ、言いにくさに光を当てなければ、本質的な改善にはつながりにくいのです。

ここを見ないまま「もっと頑張れ」と言えば、現場は疲れます。
ここを見たうえで「一緒に変えよう」と言えれば、現場は動き始めます。
私は、管理職や経営者の役割は、まさにそこにあると思っています。

ルールを守らせることも大事です。
けれど、それだけでは足りません。
違和感を育てること、違和感を歓迎すること、違和感を改善に変えること。
その循環をつくることが、これからの職場にはますます必要になってくるのではないでしょうか。

視点を変えろ。
私は今回、この一言に多くの思いを込めています。

問題は、表に出た事故や不具合だけではありません。
その手前にある、まだ言葉になっていない違和感です。
そこに耳を傾けられるかどうか。そこに言葉を与えられるかどうか。
そこから、小さな改善を積み重ねられるかどうか。
その違いが、数年後の組織の姿を大きく変えていくのだと思います。

静かに鈍っていく組織もあれば、静かに感度を取り戻していく組織もある。
私は、後者を増やしたいのです。
そして、その出発点は、案外大きな改革ではなく、「ここ、少しやりにくいですね」という一言を、ちゃんと受け止めることなのかもしれません。

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マネジメントコンサルティング部 部長
坂田 和則

国内外において、企業内外教育、自己啓発、人材活性化、コストダウン改善のサポートを数多く手がける。「その気にさせるきっかけ」を研究しながら改善ファシリテーションの概念を構築し提唱している。 特に課題解決に必要なコミュニケーション、モチベーション、プレゼンテーション、リーダーシップ、解決行動活性化支援に強く、働く人の喜びを組織の成果につなげるよう活動中。 新5S思考術を用いたコンサルティングやセミナーを行い、企業支援数が190件以上及び年間延べ3,400人を越える人を対象に講演やセミナーの実績を誇る。

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