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鹿は全力で伝えていた|問を失った組織は、生成AIも経営に活かせない

目次

鹿全力で伝えていた】
問を失った組織、生成AIも経営に活かせない

「マダム、それシカのです!」から考える、思い込みとヒューマンエラー

※本稿に登場する飲食店と人物については、プライバシー保護のため、場所や店名、人物を特定できる情報を変更しています。設備改善の事例についても、企業や設備を特定できないよう一部を一般化しています。

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まさか、この方が鹿せんべいを食べると

真夏の、暑いというより「暑すぎる」と言いたくなる日の午後でした。
私は、ある小さな飲食店で食事をしながら、お酒と会話を楽しんでいました。そこは、初めて会ったお客さん同士でも、いつの間にか話が始まるような、温かな空気のあるお店です。
誰かが話すと隣の人が笑い、その笑いにつられて、また別の人が会話に加わる。私は、そんな時間が好きです。

その日、ほかの席にいらした女性とも自然に会話が始まりました。
清楚で凛としていて、言葉遣いも立ち居振る舞いも上品なマダムです。
どう見ても、突拍子もないことをする方には見えません。
ところが、奈良旅行の話になったとき、私の予想をはるかに超える実体験が飛び出しました。

「旅行雑誌を読んで奈良のことを調べていたら、お土産に“しかせんべい”と書いてあったの。奈良は鹿が有名だから、そういう名前のお菓子だと思ったのよ」

ここまでは分かります。鎌倉の鳩サブレーのように、奈良の鹿をモチーフにした、人間が食べるお菓子だと思ったのでしょう。ところが、マダムは何事もなかったかのように続けました。

「それで奈良へ行って買ったの。でもね、雑誌にはいかにも有名そうに書いてあったのに、ぜんぜん美味しくなかったの。味なんか、何もしなかったわ」

私は一瞬、頭の中で言葉を整理しました。
味がしなかった。
ということは……。

「えっ? 食べたんですか?」

その瞬間、お店の中は爆笑の渦に飲み込まれました。
あまりにも上品で、どう考えても鹿せんべいを食べそうにないマダムだからこそ、笑いが止まりません。
きっと奈良では、周囲の鹿たちが全力で訴えていたはずです。

「マダム、それは私たちのです」
「鹿はこちらです。口はそちらです」
「ちょっと待ってください。なぜ、その手が上へ向かうのですか」

それでもマダムには、必死に集まる鹿たちの姿が、「まあ、奈良の鹿は人懐こいのね」と見えていたのかもしれません。

そして、運命のひと口。
鹿たちの動きが、一瞬止まったことでしょう。
それでもマダムは最後まで気品を崩さず、静かに首をかしげた。

「ぜんぜん味がしないのね」でしょうね。

情報がなかったのではない。意味を書き換えていた。

この話を聞くと、「そんな勘違いをする人がいるのか」と笑いたくなります。
目の前には鹿がいる。鹿たちは鹿せんべいを見つめ、首を伸ばし、全身で「それは私たちが食べるものです」と伝えている。人間用の銘菓らしい包装もなければ、甘い香りもしない。それなのに、なぜ食べるのか、と。

しかし私は、この話を笑いながら、少し怖いとも感じました。
マダムは、何も見ていなかったわけではありません。
旅行雑誌を読み、奈良へ行き、鹿せんべいを買い、目の前の鹿も見ていたはずです。
情報がなかったのではないのです。
むしろ、情報はたくさんありました。

それでも、「奈良は鹿が有名である」「旅行雑誌のお土産欄に鹿せんべいが載っていた」という情報から、「鹿をモチーフにした、人間用のお菓子である」という物語が先に完成してしまった。
その物語ができあがった後では、鹿が集まるという事実さえ、「奈良の鹿は人懐こい」という意味に書き換えられてしまったのでしょう。

私は、ヒューマンエラーを考えるとき、この点がとても重要だと思っています。人は、事実を見てから意味をつけるとは限らない。先に意味をつくり、その意味に合うように事実を見ることがある。

工場にもいた、全力で訴えている鹿

私は、これとよく似た光景を、ビジネスの現場で何度も見ています。
もちろん、工場で鹿せんべいを食べる人がいるわけではありません。
目の前で起きている現象よりも、すでにできあがった説明を信じてしまうのです。

ある製造工程を支援していたときのことです。
設備のチョコ停、チョコトラが、私が見ているだけでも頻繁に発生していました。少し動いては止まり、復旧してはまた止まる。
大きな故障ではなくても、小さな停止が積み重なれば生産性は下がり、作業者の集中力も奪われます。ところが、停止が日常化すると、「またか」「この機械はこういうものだ」という諦めまで生まれます。

私はメンバーに、「新5Sの考え方で、原因を調査してみませんか」と話しました。すると、返ってきたのは改善へ向かう言葉ではありませんでした。

「何度もメーカーに調べてもらったのですが、原因が分からないんです。もう古い機械なので、部品もないんだそうです」

言葉の表面だけを見れば、状況説明です。
しかし、その場に流れていた本当のメッセージは、「メーカーにも分からなかったのだから、私たちに分かるはずがない」「古い機械なのだから仕方がない」「これ以上調べても無駄だ」というものでした。
原因が分からないという事実が、「原因は分からないものだ」という結論へ変わっていたのです。部品がないという情報も、「改善する方法はない」という結論へ変わっていました。

私は、構造図、電気制御図、空気制御図を見せてもらいました。
そして約二時間、正直、孤独に耐えながら調べ続けました。
原因追究の現場では、いつも周囲が前向きに協力してくれるとは限りません。「メーカーが何度も調べても分からなかったのに」「そこまでやっても無駄ではないか」という空気の中で、一人で問いを持ち続けなければならないことがあります。

構造図を見て、機械が本来どのように動くのかを整理する。
電気制御図を見て、どの信号が、どの条件で、どこへ流れるのかを追う。
空気制御図を見て、バルブやシリンダーの動きとの整合を確認する。
目の前の現象と、図面上の「あるべき姿」を一つずつ照合していきました。

そして、ふと気づきました。

「あっ!」

電気制御系に、結線ミスがあったのです。
修理は、ほんの五分でした。
その後、チョコ停、チョコトラは皆無になりました。

原因追究には二時間。
修理には五分。
長い間止まっていたのは、機械だけではありません。

組織の「問い」も止まっていたのです。

「専門家が分からない」と「原因がない」は違う

率直に言えば、私は設備メーカーの対応に疑問を持ちました。
施工時の結線ミスを残し、何度か調査しても発見できず、最後は「古い機械で部品もない」という説明で原因追究を終えている。
技術力を掲げる企業であるなら、施工品質と原因追究の姿勢を問い直す必要があると思います。

ただし、この話をメーカー批判だけで終わらせると、もっと大切な問題を見落とします。
それは、メーカーの「分からない」という回答を、現場も自分たちの最終結論として受け入れてしまったことです。
専門家の意見は尊重すべきです。

しかし、「専門家が原因を特定できなかった」と「原因を特定することは不可能である」は同じではありません。
「交換部品がない」と「改善手段がない」も同じではありません。
「設備が古い」と「今回の停止原因が老朽化である」も同じではないのです。

古い設備である。
部品がない。
メーカーにも分からない。
したがって、改善はできない。この最後の「したがって」は、事実ではありません。
人が加えた解釈です。

奈良は鹿が有名である。旅行雑誌に鹿せんべいが載っていた。したがって、人間が食べる奈良銘菓である。こちらも、「したがって」から先に飛躍があります。一度きれいな物語が完成すると、その飛躍が見えなくなる。これが、ビジネスの現場で起きる「鹿せんべい現象」です。


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科学的には、何が起きているのか

認知心理学では、人が限られた時間と情報の中で素早く判断するために使う思考の近道を、ヒューリスティックと呼びます。
ヒューリスティックは、多くの場面で役に立ちます。
しかし、条件によっては、判断を一定の方向へずらすことがあります。
研究では、不確実な状況で人が代表性、利用可能性、アンカリングなどの近道を使い、それが効率的である一方、系統的な誤りにもつながることを示しました。

鹿せんべいの話では、「奈良のお土産」という最初の理解が錨になりました。
設備トラブルでは、「古い機械」「部品がない」「メーカーにも分からない」という説明が錨になりました。
一度、錨が下りると、その後の情報は錨を中心に整理されます。鹿が集まれば「人懐こい」、設備が止まれば「やはり古いからだ」と解釈され、別の可能性を探す問いが弱くなります。

もう一つは、注意の問題です。
別の研究では、ある課題へ注意を集中していると、視界に入った予想外の出来事に気づかない場合があることが示されています。
これは非注意性盲目と呼ばれます。
私たちは、目に入ったものをすべて同じ深さで認識しているわけではありません。

マダムも鹿を見ていたでしょう。
しかし、注意の中心は「奈良名物のお菓子を食べる」という物語にありました。だから、鹿が集まっているという情報を受け取っても、「これは鹿に与えるものだ」という意味には到達しなかったのかもしれません。
工場でも、設備の異音、作業者の小さな手直し、特定条件で起きる停止、図面と現物の違いは、毎日目に入っていることがあります。
それでも注意が「老朽化」「仕方のない停止」に固定されれば、原因につながる意味としては見えなくなります。

問を失った組織は、生成AIも経営に活かせない

ここで、生成AIの話につながります。
生成AIを導入すれば、組織の問題解決力が自動的に高まる。
そう期待している企業もあるでしょう。
しかし私は、逆の可能性も考えています。

問を失った組織が生成AIを使うと、思い込みを速く、きれいに、もっともらしくするだけではないか。

たとえば、「古い設備で、メーカーにも原因が分からず、部品もありません。
更新までの暫定対策を提案してください」と生成AIへ入力したとします。
生成AIは、保全周期の見直し、停止履歴の記録、予備品の確保、更新計画など、いかにも合理的な案を出すでしょう。

しかし、質問の前提である「原因は老朽化である」「修理は難しい」が間違っていたら、どれほど整った回答でも結線ミスは直りません。
むしろ、間違った前提が立派な提案書になり、経営会議で承認されるかもしれません。

人が誤ったAIの助言へ引きずられたり、AIの偏りを自分の判断へ取り込んだりする可能性は、実験研究でも示されています。
また、理由や説明が表示されたとしても、誤ったAIの助言への過度な依存が必ず解消されるわけではありません。

生成AIは、質問された前提を毎回、自動的に疑ってくれる装置ではありません。与えられた条件に沿って、整った回答をつくることを得意としています。

だからこそ、経営で活かすには、「答えを出して」だけでは足りません。「この前提が間違っている可能性は?」「別の原因仮説は?」「反対の証拠は?」「まだ確認していない事実は?」と問う必要があります。

生成AIは、問いの代わりにはなりません。
生成AIは、組織がすでに持っている問いの強さを増幅するのです。

鹿せんべいを食べないための四つの習慣

では、思い込みを完全になくせるのか。私は、それは難しいと思っています。だからこそ、「注意しろ」「思い込むな」という精神論ではなく、普段の仕事に問いを組み込む必要があります。

一つ目は、事実、解釈、結論を分けることです。
「設備が一日に十回止まった」は事実。
「古いから止まった」は解釈。
「更新するしかない」は結論です。
この三つを一続きにすると、解釈が事実の顔をしてしまいます。
会議や報告書でも、事実と仮説を分けて書くだけで、思考の混線はかなり減ります。

二つ目は、「原因不明」を「現時点では、まだ原因を特定できていない」と言い換えることです。「原因不明」は、探索を終える言葉に聞こえます。「まだ特定できていない」は、次の問いが残っている状態です。言い換えは言葉遊びではありません。終わった物語を、再び問いへ戻す行為です。

三つ目は、自分の仮説に反する証拠を探すことです。
「古いから止まる」が仮説なら、同じ年数でも止まらない設備はないか。
特定の動作だけで止まるなら、単純な老朽化で説明できるのか。
「若手に主体性がない」が仮説なら、上司がいない場面でも発言しないのか。問いは、「この説明が間違っているとしたら、どんな事実が見つかるだろう」です。

四つ目は、生成AIに答える役だけでなく、疑う役を与えることです。
「私の仮説を否定してください」「異なる原理に基づく原因仮説を挙げてください」「結論を出す前に必要な質問をしてください」と頼む。

ただし、AIが挙げた仮説は、現物、図面、測定データ、顧客の声、一次資料と照合しなければなりません。生成AIは探索を支援できますが、現場の事実そのものではないからです。

私はさらに、後戻りしにくい判断の直前に、短い停止点を置くことも勧めています。設備改造、顧客への回答、人事評価、契約、品質判定、経営投資。そんな場面で、「前提は確認したか」「事実と推測が混ざっていないか」「反対の証拠を見たか」と立ち止まる。

鹿せんべいを持った手が口へ向かい始めたとき、誰かが言える組織であること。
「ちょっと待って。なぜ上へ?」
この一言が、重大なヒューマンエラーを防ぐことがあります。

技術は答えを増やす。経営を強くするのは問いである。

二時間、図面を見ながら調べていたとき、私は孤独でした。
周囲には、すでに「古い」「部品がない」「メーカーにも分からない」という説明がありました。
人は、説明があると安心します。
問題が解決していなくても、解決できない理由が分かれば、それ以上考えなくて済むからです。

その中で、「いや、まだ何かあるのではないか」と問い続ける人は、ときに面倒な人に見えます。
しかし、改善や革新は、多くの場合、「まだ本当のことが分かっていないのではないか」という小さな違和感から始まります。
だからリーダーの役割は、答えを早く出すことだけではありません。
問いを持っている人を一人にしないこと。
「もう決まった話を蒸し返す人」と扱わないこと。
現場の違和感を、報告の邪魔ではなく、学習の入口として扱うことです。

生成AIは、非常に強力な技術です。
しかし、技術が可能性をつくっても、その可能性を経営成果へ変えるのは組織です。どの生成AIを契約したかだけでは、本当の差は生まれません。

自分たちは何を事実としているのか。
何を解釈で補っているのか。
何をまだ知らないのか。
誰の声が聞こえていないのか。
最初の説明に反する情報はないか。
こうした問を持てるかどうかです。

問を失った組織に生成AIを与えても、経営は自動的に賢くなりません。
むしろ、思い込みが速く、きれいに、もっともらしくなる危険があります。
一方、問を持つ組織に生成AIを与えれば、人間だけでは見落としていた仮説を出し、異なる立場を比較し、調査の抜けを見つけ、学習の速度を高めることができます。

鹿は、全力で伝えていた

私たちは、鹿せんべいを食べたマダムを笑いました。
でも、仕事の中で同じことをしていないでしょうか。

現場の違和感が全力で訴えているのに、「いつものことだ」と意味を書き換える。部下が言葉を選びながら伝えているのに、「言い訳だ」と受け取る。
顧客が不安を口にしているのに、「価格の問題だ」と決める。
生成AIが整った文章を返したために、「これが正しい」と安心する。

鹿は、全力で伝えていました。
問題は、情報がなかったことではありません。
受け取る側に、自分の物語を疑う問いがなかったことです。

次に、「仕方がない」「昔からこうだ」「専門家にも分からない」「生成AIもそう答えた」という言葉を聞いたら、ほんの少しだけ立ち止まってみてください。

それは事実でしょうか。
それとも、私たちが無意識に食べようとしている「鹿せんべい」でしょうか。

この実話を、歌にしました

この楽しくて不思議な実話を、一曲の歌にしました。
タイトルは、『マダム、それはシカのです!』
清楚で凛としたマダム、期待に満ちて見上げる鹿たち、鹿せんべいを持った白い指。「こちらへ、こちらへ」という鹿たちの願い。
ところが、その手は、なぜか上へ。そして、運命のひと口です。

女性コーラスグループAimaiの美しいハーモニーと、50代、60代の方には青春時代を思い出していただけるような、懐かしく温かなシティポップのサウンドに乗せました。笑いながら聴いていただき、次に何かを「分かった」と思ったとき、ほんの一度だけ立ち止まっていただけたらと思います。

目の前に、何かを必死に訴えている鹿はいないだろうか、と。

『マダム、それはシカのです!』
歌:Aimai
作詞・作曲:ポッポ3

[YouTubeで曲を聴く]https://youtu.be/J3if_p4L_2o

※本稿は筆者の実体験をもとに構成しています。プライバシー保護のため、場所、人物、設備など、特定につながる情報は一部変更または一般化しています。

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マネジメントコンサルティング部 部長
坂田 和則

国内外において、企業内外教育、自己啓発、人材活性化、コストダウン改善のサポートを数多く手がける。「その気にさせるきっかけ」を研究しながら改善ファシリテーションの概念を構築し提唱している。 特に課題解決に必要なコミュニケーション、モチベーション、プレゼンテーション、リーダーシップ、解決行動活性化支援に強く、働く人の喜びを組織の成果につなげるよう活動中。 新5S思考術を用いたコンサルティングやセミナーを行い、企業支援数が190件以上及び年間延べ3,400人を越える人を対象に講演やセミナーの実績を誇る。

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